三井銀行が「慶応卒だらけ」だった歴史的な背景 東大出身が屈した「財閥内に学閥」がある世界

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(写真:とんこりり/PIXTA)
「学歴重視」の採用はいつ、どの会社で、どうやって始まったのでしょうか? 財閥作家として定評のある菊地浩之氏は新著『財閥と学閥』で膨大な史資料を通して、四大財閥に形成された学問の起源をひもときます。本稿は三井財閥における慶応勢力について。

三井銀行を慶応閥にした中上川改革

中上川改革で三井銀行では一気に学卒者がふえた。中上川の在任期間はおおよそ10年半に過ぎないが、中上川の死後も彼が採用した慶応義塾卒が事実上、三井銀行の経営を主導し、その体制は1937年まで続いた。

『明治期三井と慶応義塾卒業生』に掲載された人物を集計すると、中上川が三井銀行に採用した慶応OBは計111人に及ぶ。慶応OB以外も採用されているので、学卒者の採用人数はもっと多いだろう。

三井銀行の社史によれば、1901年の男子事務行員は470人なので、単純計算で4分の1弱(23.6%)が学卒者によって占められたことになる。もっとも、後述するように、中上川採用の学卒者は各社に差し向けられており、その扱いが出向(銀行在籍のまま、他社に常勤)か、派遣(他社に転籍)かで計算も違ってくる(つまり、厳密にはわからない)。

(図表:角川新書提供)

いずれにせよ、量的に相当なインパクトのある採用だったことがうかがえる。しかも、中上川人事は、かれらに実務を担当させずに、いきなり支店長クラスに据えたのが特徴である。

実務は丁稚からの叩き上げに任せて、もっと高度な経営判断をするように仕向けたのだ。これは非常にうまいやり方だった。実務では非学卒者の方が優れているので、実務を習得する過程で学卒者がやる気を失ってしまい退社する事例が他社では散見されるからだ。

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