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「思想家」ルソーは本業不明の「インフルエンサー」 わかっちゃいるけどやめられない「矛盾」の人生

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パリのパンテオンの中にあるジャン=ジャック・ルソーの墓(写真:pytyczech/PIXTA)
人生100年時代といっても、長生きするには金が必要だ。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」、ドイツの宰相ビスマルクが言ったように、困ったときは歴史に学ぶしかない。後世にその名を残す偉人たちですら、なりふり構わず金策に奔走してきた。規格外の生き延び方を見せた偉人たちのエピソードを集めた、栗下直也著『偉人の生き延び方』(左右社)より、ルソーの一例を紹介する。

野心みなぎる音楽家としてデビュー

ジャン=ジャック・ルソーといえば多くの人は「社会のテストでルソーと出てきたら、啓蒙思想とか『社会契約論』とか書けばいいよね」くらいの印象だろう。「啓蒙思想の人だから思想家なんでしょ」と思われるかもしれない。

だが、実は思想家としてひとくくりにできないのがルソーの面白さである。彼は本業が何かよくわからない。今でいうならば何が何でも有名になりたいインフルエンサーだったといってもいいすぎではない。

ルソーが世に出ようとしたのは思想家としてではなく、音楽の分野だった。1742年、科学アカデミーで音楽の「新記号案」を発表する。

アカデミーと聞くと現代の学会を思い浮かべる人も多いだろうが、もう少し分野横断的で知識人や芸術家の登竜門のような存在だった。ここでルソーは音楽の五線譜の煩雑さを解消するための数字譜の提案をするが、ほとんど反響がなかった。

華々しいデビューに失敗したルソーだが、有名人になる野心を捨て去ることはなかった。そして、1750年に別のアカデミー主催の懸賞論文に応募し、見事受賞する。

この論文は、ざっくりいうと「学問や芸術に走りすぎると人間はダメになる」という内容だった。啓蒙主義の時代潮流に背を向けたことでパリの知識人界隈を沸かせた。現代ならば、微妙なミュージシャン崩れが世の知識人を嗤うような批評でデビューを飾ったわけだ。

とはいえルソーは、「おまえがそんなことをいうなよ」と突っ込みたくなる環境に身を置いていた。

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【人を堕落させる営みを食い扶持にしていたのに】

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