「思想家」ルソーは本業不明の「インフルエンサー」 わかっちゃいるけどやめられない「矛盾」の人生
万事休すと思われるかもしれないが、ここでルソーを救ったのが、ベストセラー作家としての人気とそれまで培ってきたネットワークである。
ヨーロッパを転々としながらもファンの貴族や知識人にかくまってもらう。まるで国外逃亡したYouTuberのような暮らしを強いられるが、最後はフランスにこっそり舞い戻る。偽名を使い、約15年にわたり、逃亡生活を続けながらも『告白』などの著作を世に送り出している。
精神に変調を来した晩年
ちなみに、この『告白』は自身の半生をつづった自伝であり、赤裸々過ぎてこちらが恥ずかしくなる内容になっている。
例えば、小さい頃に折檻されてももっと叩かれたいと思ったとか、叩かれたいから街中で若い娘にみだらな姿をさらしたとか、自らの異常性をこれでもかと晒す。近年、ネット上で「ルソーは実は露出狂の変態だった」とネタにされているが、この本が元ネタである。
ルソーは「変態な俺を知ってくれ! もっと辱めてくれ」といいたかったわけではない。彼はわけもなく涙を流すなど精神的に不安定だったが、それが年を重ねるごとに悪化した。
本人も自覚しており、書くことによりそれを克服しようとしていたのだ。晩年には『ルソー、ジャン=ジャックを裁く』などで自分の異常性を客観的に分析しようと試みてもいることからもそれはわかるが、皮肉なことに被害妄想は年々ひどくなっていった。
悪意や中傷が彼の周囲には常に渦巻いており、それに対して彼が躍起になって、反論すればするほど世間は反発する。それにまた反論する。この繰り返しは彼をひたすら疲弊させた。
原稿が印刷される前に改ざんされるという妄想にまで取りつかれ、切羽詰まった彼はノートルダムの祭壇に印刷前の原稿をささげようとしたが祭壇の周りには柵があった。ルソーはその柵すらも敵の謀略であるとみなし、「俺の行動を潰すためか」と発狂するほど重症だった。こうした行動から、ルソーが亡くなったときには自死を選んだとのうわさも流れたほどだ。
ルソーはどうすれば売れるかを常に考えていた非常に現代的な人であった。思想家というよりは何とかしてメジャーになりたい人であり、40過ぎまでプラプラしていた露出狂でもあった。晩年は決して恵まれていたわけではないが、彼の思想がフランス革命に大きな影響を与えたのは今では多くの人が知るところだろう。
彼は「職業ルソー」といえる存在であった。正業が副業であり、副業が正業でもあった。彼がいかに多才であったかは私たちの暮らしに今でもルソーが身近なことからもわかる。
音楽家として立身出世を目指しただけに、確かに才能はあったのだろう。誰もが幼少期に口ずさんだことがある童謡「むすんでひらいて」はルソーの作曲である。
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