「思想家」ルソーは本業不明の「インフルエンサー」 わかっちゃいるけどやめられない「矛盾」の人生
彼の人生が暗転するのは10歳の頃。父親が喧嘩騒ぎで逃亡してしまい、天涯孤独の身となる。親戚によっていろいろなところにたらい回しにされ、下働きに出された彫刻師の元では殴られまくる。
あるとき、門限に遅れそうになり、「もう、タコ殴りにされるのは嫌だ」と戻らずに出奔する。金も知識もスキルもない16歳にも満たない若者が放浪の旅に出たのである。RPGゲームのような展開だが、史実だ。
ルソーの人生を決定づけたのは、後のフランスのサヴォアで貴族の未亡人と出会ったことだ。1731年、出奔から約3年が経っていた。未亡人の邸宅に転がり込み、30歳近くまで庇護をうける。現代でいうならばルソーは未亡人のヒモみたいなものだ。実際、2人は肉体関係にあった。
この出会いがルソーのその後を形作る。邸宅の文化資産によって彼は幅広い知見を身につける。まず、音楽に夢中になり、その後に学問や文学にのめりこむ。邸宅の図書室にはギリシャ、ローマの古典から近代の哲学、文学、自然科学とさまざまな本が蔵書としてあった。
当時、ルソーがどのような本を買っていたかの記録も残っており、新聞や話題書から数学の本まで貪欲に知識を吸収していたことがうかがえる。学校教育を受けずに独学で彼は自分の世界観を構築する。
独学で知を形成し、渾身の著書を出すも焚書に
ルソーの幅広い知識はアウトプットからもわかる。彼はデビュー後、自分の思想をあらゆる形で表現した。1761年には書簡体の恋愛小説『新エロイーズ』を刊行するが、これが大ヒットとなる。貴族と平民の恋を描いた話だが、1800年までには72版を重ね、18世紀フランスの最大のベストセラーともいわれている。
本来ならば、ここからルソーは作家、思想家としての黄金期を迎えるはずだった。大ヒットの翌年に『社会契約論』、同年5月に『エミール』を刊行する。ルソー本人にしてみれば、大ヒットを飛ばした後だけに期待も当然大きかったが、売れる売れないの問題ではなく、「こんな本はけしからん」と焚書にされてしまう。
確かに当時の政治的価値観からすると『社会契約論』は受け入れがたいものであった。
ルソーは同書の中でこう唱えた。「人間は本来自由な存在であるのに、多くの人が奴隷状態にあるのはおかしい。国家が不当な暴力を振るうのであれば、市民は新たな社会をつくり、新たな契約を結ぶべきだ。特権政治や教会なんて糞くらえ、革命だ」。
おまけに『エミール』でも当時の宗教観と全く違う考えを提示したものだから、逮捕状まで出てしまう。
国外逃亡の憂き目にあい故郷のジュネーブに戻るも、ここでも逮捕状が出て、市民権すら剥奪される。大ヒット作家から一転、国をまたいだお尋ね者となったわけだ。
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