難関"中学入試"で問われる「時事問題」その中身 有名中学ではどんな問題を出題したのか?

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この病気はのちに、水俣の地名から「水俣病」と呼ばれるようになりました。症例が確認されてから12年後の1968年、厚生省(当時)は水俣病を公害病であると認定しました。日本でも最も有名で、被害が深刻な公害事件の1つと言えるでしょう。

もちろん、水俣病については社会の教科書にも載っています。しかし、その水俣病が去年の5月に大きなニュースとなったことを知っていた受験生は、どれほどいたでしょうか?

水俣病が公式に確認された5月1日に合わせ、毎年5月には熊本県水俣市で慰霊式が行われています。そして、慰霊式の後には環境大臣と水俣病の被害者ら団体との懇談会が行われているのですが、2024年の懇談会の場でとある事件が起きたのです。

水俣病を巡って2024年に起きた出来事

2024年の懇談会では、患者団体をはじめとする8つの団体の代表者が、年々悪化する症状の苦しみを訴え、国に対する要望を述べていました。

代表者らに与えられた持ち時間は、1人当たりたったの3分。そして、ほんの少しでも3分を過ぎると、環境省職員から話を遮られ、マイクの音を切られてしまったのです。

年に一度、理不尽に遭った被害について国に訴えることができる場で、国の役人から発言を遮られることがどれだけの苦しみなのか、団体側から抗議の声があがり、世間の知るところとなりました。

報道によると環境省は事前に持ち時間を伝えて、制限時間になった場合は、呼びかけたうえでマイクを切る運用にしており、一昨年も同じルールを設けていましたが、実際に切ったことはなかったようです。

この事態を重く受け止めた伊藤環境大臣(当時)は、懇談会の1週間後に再び水俣市を訪れ、団体側に謝罪しました。

当時はニュースや新聞でこの事件が大きく報道され、同時に水俣病の背景を振り返る特集が何度も組まれました。日頃からニュースに触れている人であれば、どこかのタイミングで、一度は必ず水俣病について復習する機会があったはずです。

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