反対する家族の中で唯一、ヤギさんを応援してくれたのが、1浪を経験していた2番目の姉でした。周囲が浪人を反対する中、1人だけ自分を支えてくれた姉の存在は、当時のヤギさんにとっては大きな心の支えでした。
そんな姉は、彼女にまさかの選択肢を勧めます。
「『そんなに大学で勉強したいなら、海外の大学に行くのも1つの方法じゃない?』と助言してくれました。私が商学部や経営学部を受験しようと思ったのも、ディズニー・チャンネルで放映されていた『シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ』を小さいころから見ていて、英語でビジネスを学びたいと思ったのが大きなきっかけでした。
そこで初めて、海外の学校に対する憧れを抱き、留学したいと強く思いました。もちろん親に話したら猛反対だったのですが、諦めたくなかったので、アルバイトでお金を稼ぎながら、海外大学をリサーチして、親を説得し続けていました」
両親を説得し続けた2〜3浪目
2浪目の春から、彼女は東京駅・上野駅の和食屋で昼12時〜21時までアルバイトを始めます。海外への留学費用を貯めながら、英語で接客をしてアウトプットをすることが狙いでした。
帰りの電車では、疲れて何もできなかったものの、通勤の往路の朝9時〜11時の間にも、電車で留学で使うIELTSの単語帳・参考書をひたすらやり込みました。
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アルバイトと英語の勉強を並行しつつ、根気強く海外大学のことを調べ続けたヤギさんは、パワーポイントを作っては定期的に親にプレゼンをしていたそうです。
なかなか許してもらえないまま1年が経過しましたが、3浪目の秋ごろ、ついにある大学への進学許可が出ます。それが、オーストラリアにあるモナッシュ大学の、マレーシア分校のビジネス学部でした。
「両親は『あなただけ姉よりも費用がかかるところには行かせられない』と思っていたようで、両親に納得してもらうには、費用面がいちばんのネックでした。
ビジネスを学ぶにはオーストラリアのモナッシュ大学がとてもいいところだと思ったのですが、当時、日本円で年間360万円ほどかかるので難しいと思っていました。
ただ、マレーシアの分校はオーストラリアと同じ水準の教育を受けられるのに、学費はオーストラリアの3分の1で、卒業も3年でできると知ったのです。すでに1年分くらいの学費をアルバイトで稼いでいましたし、年間の学費が日本の私大と同じくらいで授業料も安くなるということをプレゼンしたら、なんとか進学を許してもらいました」
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