徴兵を逃れ、軍から脱走したミャンマー人の前途 現地ルポ ミャンマー・タイ国境での支援活動

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軍からの脱走兵を「暴力に加担した者」とひとくくりにはできない。そう考えさせる証言がある。

ウェイさん(仮名・44歳)は、かつてミャンマー海軍の曹長としてヤンゴンで任務に就いていた。部下は7~8人。船のメンテナンス、補修が主な任務だった。浅黒い肌で、髭をきれいにそり、髪も短く刈っている。長年にわたって軍人として培った経験が染みついているようなたたずまいだった。彼は落ち着いたまなざしで、静かに話をした。

軍にいたころの話をするウェイさん(撮影:筆者)

2002年、軍のエンジニア養成のための大学を卒業してそのまま軍に入隊。仕事は希望していた船の仕事だったので、やりがいもあり、充実した毎日だった。しかし、あることがきっかけとなって、軍に不信感を持つようになった。

略奪活動を自慢し合う、軍の兵士たち

「確か2023年6月か7月、雨季の頃だったと思います。ザカイン管区の街の近くの沿岸での任務のときでした。兵士たちが船の上で話をしていたのを聞いてしまいました。どんなものを戦利品として持ってきたのか、それをどこで売る予定なのかといったことを、笑いながら話していたのです。これにはぞっとしました」

「船の修理に携わっていたので、私は暴力を直接見たことはありませんし、市民に危害を加えたこともありません。それだけに、同じ仲間がひどいことをしているのを知って恥ずかしい思いで胸が一杯になりました」

ウェイさんは家族と相談のうえ、2024年12月に軍からの脱走を決意。上層部に知られないように慎重に準備を進め、わずか1日でタイとの国境の街ミャワディへ到達。そこからMother Embraceの協力を得てタイへ逃れた。

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