「八潮市の道路陥没事故」を招いた経済政策の誤り 人間観・社会観・科学観から捉え直す政策の哲学
主流派経済学の非現実性を問題視するのは、科学哲学者だけではない。次に挙げるのは、いずれも、ノーベル経済学賞を受賞した主流派経済学者たちの言葉である。
専門的な経済学の学術誌の各ページは、多少は妥当ではあるが完全に恣意的な仮定から、明確に述べられてはいるが無関係な理論的結論へと読者を導く数式で満たされている……。毎年、経済理論家たちは何十もの数理モデルを生産し、その形式性を細かく詰め、計量経済学者たちは、あらゆる形の代数関数を本質的に同じデータセットに合わせているが、見たところ、実在の経済システムの構造や作用の体系的な理解を進歩させられるような代物ではない。
経済学は、現実の経済問題を扱うのではなく、難解な数学の一部門にますますなっている。
今の経済学は、宙に浮いていて、現実世界で起きていることとはほとんど無関係になっている理論体系である。
(過去30年間の主流派マクロ経済学の大部分は)良くて華々しく役に立たなく、悪くて全く有害であった。
必要かつ可能なる「政策の哲学」
その学問分野において最も優秀と目される学者たちが、自らの学問分野のあり方についてこれほど酷評するというのは、主流派経済学以外では珍しいのではないだろうか。
ところが、こうした内輪からの批判にもかかわらず、主流派経済学は、その問題の多い理論の骨格を今もなお維持している。
そして、財政政策や金融政策に対して、強い影響を及ぼし続けているのである。
その問題の一端が、八潮市の道路陥没事故となって現れたと言っても過言ではない。それどころか、「失われた30年」という長期停滞もまた、主流派経済学の影響を受けた経済政策の誤りに起因するのだ。
したがって、我々は、経済政策を左右している経済理論、さらにはその経済理論の基礎にある人間観や社会観、さらには科学観から考え直し、政策を根本から立て直さなければならない。
すなわち、「政策の哲学」を問わなければならないのだ。
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