「八潮市の道路陥没事故」を招いた経済政策の誤り 人間観・社会観・科学観から捉え直す政策の哲学
しかし、現代貨幣理論(MMT)を持ち出すまでもなく、自国通貨を発行できる政府において、財源が不足するなどということは起き得ない。そして、日本政府は、自国通貨を発行できる。
日本の財政には、社会インフラを刷新する余地が十分にあるということだ。
自国通貨を発行できる政府の財政は、破綻することはあり得ない。したがって、財政収支の均衡を基準とする「健全財政」ではなく、財政が国民経済に与える影響を基準とする「機能的財政」によって運営されるべきだ。
すなわち、財政赤字それ自体は「悪」ではない。それが国民経済に良い影響を与えるのであれば「善」である。そして、財政赤字は、将来世代へのツケではない。将来、財政赤字を減らすために増税をする必要はない。増税するか否かも、それが国民経済に与える影響によってのみ判断するのが「機能的財政」だ。
ところが、日本は、長きにわたって「健全財政」に従って財政運営を行っており、財政赤字は将来世代へのツケだから抑制すべきだと固く信じてきた。
このため、社会インフラの老朽化が放置されてきたのである。
その結果が、笹子トンネル事故であり、八潮市の道路陥没事故である。これこそ、将来世代に回されたツケと言うべきであろう。
科学哲学からの主流派経済学への批判
この問題の根幹にあるのは、健全財政という考え方であり、その健全財政を正当化する主流派経済学の理論である。
主流派経済学とは、今日の経済学の学界において最も支配的な理論体系のことである。
主流派経済学は、世界中の権威ある大学の経済学部において教えられ、世界中の政府、中央銀行、国際機関、シンクタンク、ジャーナリズムに対して最も強い影響力を与えている経済学の学派である。
この主流派経済学からすれば、例えばMMTのような経済学派は、異端である。
実際、主流派経済学者たちや主流派経済学の影響を受けた人々は、MMTについてろくに理解しようともせず、似非理論だと一蹴してきた。
しかし、「科学とは何か」を探究する科学哲学者たちからすれば、似非理論と呼ぶべきは、むしろ主流派経済学の方であった。
科学哲学からの批判の要点は、主流派経済学が前提とする人間観や社会観があまりにも非現実的であるということだった。
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