築66年「スラム化した廃墟」の驚くべき大変身 「九州リノベ」の金字塔、冷泉荘が放つ存在感

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冷泉荘は1958年に建てられた地上5階、地下1階の建物で、建築当初は高額物件だった。福岡市中心部は福岡大空襲で焼け野原になっており、当時は復興途上。住宅としては木造の風呂無し長屋しかない時代に建ったRC造で、別棟には入居者専用共同浴場もあるアパートである。

しかも立地は当時、博多でも有数の商店街の1本裏手。言ってみれば銀座の大通りのすぐ裏手にある賃貸住宅のようなもので、人気を集めたのも当然だろう。

上空から。屋上があり、登れるようになっている(写真:筆者撮影)(写真:筆者撮影)

だが、それから40年余。時代は変わった。福岡市は旧城下町エリアの福岡と、それ以前からの商業の街の博多、という2つの中心地が拮抗してきたが、天神エリアの勃興で博多は衰退。復興を期して1999年に行われた博多リバレインの開発も当時はいまひとつという状態で、冷泉荘に隣接する川端商店街も歩く人の姿がないほどに寂れていた。

苔が生え、マフィアの隠れ家になっていた

それ以上にひどかったのは何の手入れもされずにきた冷泉荘。かつての高額賃貸は、建物は放置されたままで入居者が高齢化し、スラムとなっていたのである。

「建物を改修して使い続けるという発想のない時代の物件だったので、一度も大規模改修が行われておらず、漏水もひび割れもすべてそのまま。中には入居者が漏水を放置したために青々とした苔が繁茂している部屋もありました」と吉原さん。

「1階の高齢女性入居者が近くの公園を住まいとするホームレスの人たちと仲が良かったため、彼らがよくうろうろしていましたし、大陸系のマフィアの隠れ家があると警察から連絡も来ました。そうした部屋は手入れが行き届き、天蓋のあるベッドなど豪奢な家具が置かれていました」

その結果、冷泉荘のある路地裏は周囲に住む人たちからは敬遠されるようになっていた。中洲で飲んだ人たちが生理現象に耐えかねて駆け込む、違法にゴミが捨てられるような治安に問題がある通りとして認識されていたのだ。

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