NHK大河ドラマ『べらぼう』で脚光を浴びている蔦屋重三郎も、名経営者と同じような気質の持ち主だったようだ。逆境のなかで好機を見極めて、ためらわずに行動を起こすことで、道を切り拓いている。
吉原の地で生まれ育った重三郎は22歳のときに、吉原大門口の五十間道に面した場所で小さな書店「耕書堂(こうしょどう)」を開業する。
だが、吉原自体に逆風が吹いていた頃だった。幕府公認の遊郭である吉原を差し置いて、深川の遊郭が人気を集めて、客足が岡場所(吉原以外の非公認の遊郭のこと)のほうへと流れ出したのである。
「吉原細見」に参入したタイミングが絶妙だった
そこで重三郎は、吉原の案内書「吉原細見」に活路を見出す。これまで遊郭の場所や所属先がわかりづらかったのを改善すべく、誌面のレイアウトを工夫。判型も大きくして見やすくするなど、ユーザー目線で活用しやすいものにリニューアルし、吉原を改めてPRすることに成功している。
苦境のなかで、重三郎のアイデア力が発揮されることになったが、先の経営者の名言にあるように、動き出すタイミングもまた絶妙だった。
もともとはさまざまな出版社が吉原細見を出していたが、やがて「鱗形屋」が独占するようになる。重三郎は鱗形屋版の吉原細見の販売元となっていたが、安永3(1774)年に思わぬ出来事が起きる。
当時、同じ出版物をタイトルだけ変えて出すことは「重板」と呼ばれて、禁じられていた。それにもかかわらず、鱗形屋の使用人がその禁を犯したために、主人である鱗形屋孫兵衛も処分を受けることに……。
「魚は招いて来るものではなく、来るときに向こうから勝手にやって来るものである」
これは三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の言葉だが、まさに重三郎にとっては、そんなチャンスが到来したといえよう。好機を逃すことなく、重三郎は初めての出版物となる『一目千本(ひとめせんぼん)』の刊行に踏み切っている。
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