韓国「本当の」戒厳令を経験した日本人の回想 1970~80年代、軍人によって抑圧された社会のリアル
――3つの事件は北朝鮮の影も見えたり、日本も大きくかかわる事件ばかりですね。
それだから朴正熙政権は「敵は日本から来る、北朝鮮の手先は日本から伸びてくる」と警戒していたはずです。しかも1968年1月に「青瓦台(大統領府)襲撃未遂事件」がありました。北朝鮮の特殊部隊が朴正熙がいる青瓦台付近まで接近し、あやうく大統領府が攻撃されそうになった事件です。北朝鮮への警戒は極度に達していました。
こんなことがありました。ある日公安につかまり、「おまえの手帳を見せろ」と言われたのです。なぜ手帳か。どうも民青学連事件は、容疑者の1人が所持していた手帳にあった名前や電話番号から、芋づる式に関係者を摘発できたことがあったようです。
「手帳を持って外出しないほうがいいぞ」と言われました。それ以来手帳は持ち歩かず、持っていても個人名などは書かないようにしました。
「おまえは北のスパイか?」
――当時、韓国内で北朝鮮の存在感、敵対心、警戒心が現在よりもはるかに強かった。
そうですね。私はソウルの中心・光化門(クァンファムン)で留学時の保証人が所有するビル内の事務所で寝泊まりしていた時期がありました。事務所近くの喫茶店、当時は「茶房」(タバン)と言っていましたが、そこによく通っていました。
ある日、顔なじみとなった従業員に自慢しようとラジオを持ち込み、「これはソニー製の短波ラジオだから、北朝鮮からの放送もよく聞こえるよ」と言ってしまったのです。
すると、どこに潜んでいたのか2人の男が出て来て、私の両脇をがっしりとはさみ、「おまえは北(朝鮮)のスパイか?」と。そのまま近くの交番まで連行されました。うかつな発言でした。
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