韓国「本当の」戒厳令を経験した日本人の回想 1970~80年代、軍人によって抑圧された社会のリアル

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――1979〜1980年ごろの戒厳令の時代を含め、当時の生活で最も記憶にあることは何ですか。

「夜間通行禁止令」がすぐに浮かびます。午前0時から午前4時までの4時間、外に出られないのです。午後11時ごろになると誰もがそわそわし始める。宴たけなわの中、最終バスに間に合うようにしないといけないし、あるいはタクシーをつかまえないといけない。午前0時を過ぎて外にいると警察につかまってしまうためです。

夜間通行禁止令=韓国では日本の植民地支配が終わったあとの1945年9月、進駐してきたアメリカ軍がソウル市と仁川(インチョン)地域に夜間通行禁止令を出した。その後、1950年6月に勃発した朝鮮戦争を契機に全国に拡大された。午前0〜4時まで、医師などの医療関係者以外は民間人の外出ができなかった。その後、地域別に解除されたが、1982年1月に全斗煥が一部地域を除いてほぼ全国的に解除した。全国すべてが解除されたのは1988年1月。

韓国人の友人たちとよく飲んだので、おもわず午前0時を過ぎて外に出てしまうこともありました。すぐに警察に見つかります。私は日本人だからOKでおとがめなし、でも友人らは警察署に連行されていきました。

ただ、通行禁止の時間帯でも「キムパップ(海苔巻き)、いかがですか〜!」とおばあさんが声を出しながら売り歩いていました。おばあさんは通行禁止ではないのか、と驚きました。当時は午前0時を過ぎても飲み屋に居残って飲む人も多かった。そんな人たちに向けてキムパップを売っていたのだろうかと。

1日は20時間だった韓国

――深夜のわずか4時間、寝てしまうとすぐに過ぎてしまうものではありませんか。

されど4時間です。24時間あるはずの1日が20時間しかない、という感覚でした。午後11時にはもう時間ばかり気になって仕方がない。そして午前3時55分ぐらいになると、みんな外に出たくて仕方がない。午前4時を待ち構えたかのように、この時間を過ぎると人たちがどっと街に繰り出してくるのです。それほどの鬱積感というか、閉塞感が充満していた時代だったのです。

――当時、外国人として戒厳令が敷かれている理由をはっきりと認識していましたか。

今回の尹錫悦の布告内容でも申し訳程度にありますが、当時は北朝鮮の存在が今よりもはるかに大きかった。韓国は経済成長を続けていましたが、それでもまだ北朝鮮の国力は相対的に強かった。南北の対立が生み出す緊張感は大きかったのです。

とくに私が韓国に滞在していたときは北朝鮮も絡み、そして日本も絡む大事件が3つ、連続して発生した時期でした。それは、1973年8月の金大中(キム・デジュン)事件と1974年4月の民青学連事件、そして同年8月の文世光(ムン・セグァン)事件でした。

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