カレーの具を"知らない子"増加の背景にある懸念 心と体を使って経験できる場を作ることが重要
さまざまな知識を土台にして、いかに自身の考え方を磨いてきたか、その過程を通じてどのような価値観を身に付けてきたかが、教養と呼べるものではないでしょうか。
こう考えると、役に立つと感じることだけではなく、失敗も含めて豊富な経験を積み重ねることが、教養を身につけるうえでは不可欠になります。
たくさんのチャレンジをし、たくさんの本を読み、たくさんの人と密なコミュニケーションをし、人と人のつながりを広げる努力をする。そういった、自分自身の頭と体を使った実体験の量、つまり「生きている過程」の充実が教養を育む土台となるのです。
これを言葉にするなら、「習得」と「体得」の違い、ということになると思います。
習得には「習って覚える」という意味合いが強く、机に向い受験勉強するのもこれに当たります。しかし、子どもが真の教養を身につけるには、体験を通して理解し、自分のものにしていく「体得」が必要になるのです。
教養を身につけていくには「何を学んだのか」も大切ですが、それ以上に「どのようにして学んだのか」を大事しながら体得していくことが重要なのです。
効率的かつ表面的な学びから得られるものはやはり限定的で、人としての考え方や価値観の成長につながる「教養」にはなりにくいでしょう。
だからこそ、「学び方を身に付ける」ことが大切で、正しい学び方を学んだ子どもは、自らの力でどんどん学びを広げていくことができます。
習得だけではなく体得したものを増やすことが本来の学びであり、コロナ禍で薄められてしまった、心と体を使って経験できる機会を増やす価値の大きさを、保護者をはじめとした大人が再認識すべきではないでしょうか。
カレーライスの具材がわからない
中学受験を目指す最近の子どもたちを見ていて強く感じるのが、一般教養に欠けた子が増えてきているということです。
私が日々接するのは小学生ですから、まだまだ知らないことが多いのは当然ですが、10年ほど前の子どもたちと比べると、明らかに、そして年々その傾向が強くなっています。
例えば、今の小学生の中には、自分が食べたものにどんな食材が使われているのかを認識できていない子が見られます。
カレーライスがどういうものかはわかっていたとしても、中に入っている人参やじゃがいもといった野菜の調理前の形状がわからなかったり、サラダに入っているレタスやブロッコリーなどの名前を知らずに食べていたりします。
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