事実上の人身売買「吉原遊女」たちの悲喜こもごも 妓楼でさまざまな「教養や所作」を学んでいった
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遊女には厳格な階級制度があり、待遇にも歴然とした差があったという(写真:freehand/PIXTA)
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の舞台として注目を集めている「吉原」ですが、そこで働く遊女たちの世界には、私たちが想像する以上に「華やかなステータス」と「過酷な労働」の2つの側面があったそうです。
そんな「吉原の遊女」たちの知られざる実像はどんなものだったのか。歴史評論家・永井義男氏の著書『蔦屋重三郎の生涯と吉原遊廓』から、一部を抜粋・編集して解説します。
遊女は「事実上の人身売買」だった
幕府は建前として人身売買を禁じたため、遊女は表向きには年季と給金を取り決め、証文も取り交わした、妓楼(ぎろう)に奉公する奉公人であった。
しかし、その実態は、貧しい両親が給金を前借りし、娘を妓楼に売り渡していた。身売りであり、事実上の人身売買であった。親や親類が直接、娘を妓楼に売る場合もあれば、女衒(ぜげん)を介して、妓楼に売り渡す場合もあった。
『世事見聞録』には、越中・越後・出羽といった東北・北陸の貧農は、「三両か五両の金子に詰まりて売る」とあり、相場は定かではないが、かなり安価であったと思われる。売られた娘は、妓楼でさまざまな教養や所作を学び、一人前の遊女に育て上げられた。
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(出所:『蔦屋重三郎の生涯と吉原遊廓』より)
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