事実上の人身売買「吉原遊女」たちの悲喜こもごも 妓楼でさまざまな「教養や所作」を学んでいった

遊女は「事実上の人身売買」だった
幕府は建前として人身売買を禁じたため、遊女は表向きには年季と給金を取り決め、証文も取り交わした、妓楼(ぎろう)に奉公する奉公人であった。
しかし、その実態は、貧しい両親が給金を前借りし、娘を妓楼に売り渡していた。身売りであり、事実上の人身売買であった。親や親類が直接、娘を妓楼に売る場合もあれば、女衒(ぜげん)を介して、妓楼に売り渡す場合もあった。
『世事見聞録』には、越中・越後・出羽といった東北・北陸の貧農は、「三両か五両の金子に詰まりて売る」とあり、相場は定かではないが、かなり安価であったと思われる。売られた娘は、妓楼でさまざまな教養や所作を学び、一人前の遊女に育て上げられた。

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