事実上の人身売買「吉原遊女」たちの悲喜こもごも 妓楼でさまざまな「教養や所作」を学んでいった
遊女は妓楼から与えられた源氏名を名乗り、由緒ある名は代々、襲名された。花魁とは、太夫なき時代の上級遊女への総称として用いられた呼び名である。
遊女には厳格な階級制度があり、待遇にも歴然とした差があった。太夫などの階級が消えた宝暦以降は、昼三が最高位の遊女となった。ちなみに昼三とは、昼の揚代が金3分であることに由来している。
上級遊女(花魁)は、自分の個室を与えられた部屋持ち、日常の生活をする個室と客を迎える座敷を与えられた座敷持ち、そして、豪華な個室と座敷を与えられた昼三に大別される。特に人気の昼三は最高位の呼出し昼三と呼ばれた。多数のお供を従える花魁道中は、しばしば呼出し昼三が行った。
昼三の下には、番頭新造や振袖新造、禿(かむろ)らがついて、さまざまな雑用をこなす。また昼三も彼女たちの教育や面倒を見なければならない。
振袖新造はまだ個室を持たず、雑居暮らしで、客を取る際は廻し部屋を使う。番頭新造は、客を取らない年季明けの遊女で、主に30歳を過ぎた女性で、上級遊女の身の回りの世話をした。禿は10〜15歳の少女で、客は取らない。遊女見習いである。
「昼見世と夜見世」昼夜問わず客を取る遊女
吉原遊廓の営業時間は、昼夜二部制となっている。昼見世は正午(九ツ)から午後4時頃(七ツ)、夜見世は午後6時頃(暮六ツ)から深夜まで続いた。
遊女の朝は、まず夜が明ける前に帰る客を引手茶屋、あるいは大門口まで見送ることから始まる。これを後朝の別れと言った。
その後、遊女は妓楼2階の自分の部屋や相部屋で二度寝するが、階下では奉公人らが働き始める。二度寝の床から起き出すのは、午前10時頃(四ツ)だ。入浴や朝食を済ませて、化粧や髪結など身支度を済ませるが、昼見世が始まるまでは、基本的には自由時間となった。
昼見世の間は、遊女は張見世に出て、客を取る。客がついたら2階の座敷で相手をする。午後4時(七ツ)に昼見世が終わると、遅い昼食を取り、夜見世までは自由時間となった。ときには、日が暮れる前に、客が引手茶屋にやってきて、呼び出しがかかることもある。
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