3浪では宅浪の環境で、記述対策を中心に今まで通り1日10時間程度の勉強を重ねました。成績は右肩上がりで、東大模試では初めてC判定を取ることができました。しかし、東大の過去問をやり続けるうえで、フラストレーションが溜まっていったそうです。
「この年はだいたいの科目で20カ年分の東大の過去問を解きました。でも、東大の問題は難しいので、過去問集の答えが間違えていることもよくあったんです。また、各予備校が出している過去問集には、重要な思考プロセスは書いてあったのですが、あくまで『ポイントだけ』で、明確にどう答えに導かれるのかがわからず、頭が混乱しました。『うーん』となることもありましたね(笑)」
「今思えば、それがきっかけで起業してから自分で物事を考える癖がついた」と前向きに振り返る鹿瀬さんですが、当時は深刻な悩みだったようです。
この年のセンター試験は前年度よりあまり伸びず、740/900点程度でしたが、記述対策をしていたため、東大本番には手応えもありました。
それでも、この年も力及ばず不合格に終わってしまいました。彼は自身が落ちた理由を「アウトプットの力が足りなかった」と分析します。
「この年の東大の2次試験で実力は出せたと思います。ただ、頭の中で問題は解けていても、途中経過や文章の組み立ての部分が弱かったんです。東大の記述を乗り切れるだけの文章が、自分には書けなかったのだと思いました」
早稲田も不合格、4浪が確定
この年は東大以外にも早稲田大学政治経済学部のセンター試験利用に出願したものの、こちらも落ちてしまい、4浪が確定してしまいます。
とはいえ、東大の不合格者ランクは「C」まで上がっていたため、鹿瀬さん自身は確かな手応えを感じていました。
「4浪目は絶対行ける!」と思っていた鹿瀬さんは、ここでふたたび駿台予備学校の広島校に入ります。しかし、やはりこの選択は自分の適性に合っていなかったそうです。
「去年、過去問の演習で解答の過程がわからなかったこともあって、ここまでのレベルに到達した今だからこそ、改めて予備校に行く意味があるんじゃないかと思っていました。実際にいちばん上のクラスに入れましたし、東大を目指すにはいい環境でした。でも、結局予備校で勉強するのは自分に合っていなかったため、ほぼ行かなくなりました。その結果、東大対策の授業だけを受けていました」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら