1995年、鹿瀬さんは東京都東久留米市で生まれました。鹿瀬さんの家族は、祖父も父親も会社経営をしていた経営者一家でした。
「生まれてすぐ広島に移り、幼稚園の年長から東京に戻って、中学校に入るタイミングでふたたび広島で生活をすることになりました」
東京と広島で少年時代をすごした鹿瀬さん自身は、ふわふわしている「変わった子」だったそうですが、両親からの「思いやりと他の人に優しくすることを大事にしなさい」との教えを守り、大人たちからはいい子だと思われていたようです。
そんな鹿瀬さんの生活は、小学校3年生から野球を始めたことで一変しました。
「父親はプロ野球選手になりたかった人なのですが、経営者である祖父に辞めるように言われて、広島で『御三家』と言われている男子進学校に進学しました。だからこそ夢を僕に託して、熱血指導をしてくれました。そのおかげか、小学6年生で"東西シニア"という西東京エリアの地区選抜に選ばれて、レギュラーとして世界大会出場に貢献することができました」
野球推薦で高校に進学
勉強面に関しては、放課後に野球をしていたため、宿題も何もしていなかったそうですが、小学校卒業まで90点以下をとったことはほぼなかったそうです。
広島の公立中学校に入っても野球を続けた鹿瀬さん。ところが、学年が上がるにつれて、成績はみるみる下降していきました。
「中学1年生のときは地頭でなんとかついていけたのですが、中学2〜3年生になると、生活がより野球一色になりました。上のほうだった成績は、中学3年生の終わりには真ん中より上くらいに下がってしまいました」
一方で高校には野球推薦で行くと決めていた鹿瀬さん。県内外の高校からいくつか誘いが来た中で、特待生扱いだった創志学園高等学校の普通科創造進学コーススポーツ系に進むことにしました。
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