もともと美容師の専門学校に通いながら、アルバイトでバーで働いたのがそのきっかけだ。多感な時期にバーの世界を知り、その世界にハマってしまった。
はじめは配膳のみの仕事だったが、早くお酒を作ってみたいという思いが強くなり、そのままバーテンの仕事を始めたという。
及川さんのいたバーは赤坂にある有名なお店で、客単価も高く、若いからといって未熟な店員がいてはいけないような環境だった。若くてもお客さんになめられないようにするためには圧倒的な知識をつけるしかないと考えて、及川さんは必死でお酒の勉強をした。
「お酒というのは生産者がいて、その生産者の作ったお酒をそのままお店で提供するのがバーの世界です。
その中で、お客様からお金をいただくためにはお酒自体のことを知らなくてはいけません。アルバイトの店員が作るものとは明らかに違うものを提供しなくてはいけないのです。そのためには“知識”と“言語化”が必要でした」(及川店主)
このお酒をどのような状態で飲むと美味しいのか、何をどう加えると香りがよくなるのかなど、すべてを知ったうえでお客さんにわかりやすく伝えられるように言語化しなくてはならないのがバーテンダーの仕事なのである。
及川さんは必死で勉強し、25歳で日本バーテンダー協会の技術研究部長にまでなった。バーテンダーのコンテストなどでも運営側に回り、人に教える立場になっていた。
32歳までバーテンダーを続けたが、その頃には業界では有名人になっていた。
きっかけは一軒のラーメン店
その頃、専門学校時代のラーメン好きの友人から誘われ、一軒のラーメンを食べに行った。
そのラーメン店で寸胴にパンパンに入っている材料を見て、友人は「ダシの取り方をしっかりすれば、あんなに材料を入れなくても美味しいラーメンは作れるんだよ」と及川さんに言った。
この一言がきっかけで、2人はラーメン店をやってみようかと話し合う。この頃、脱サラをしてラーメン屋を始める人が多かったこともあって、2人は一気にその気になった。
友人がラーメンを作り、及川さんはホールと経理を担当するという役割分担で東京・神保町にお店をオープンすることにした。こうして2009年、「麺屋33」がオープンした。
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