「ラーメン屋といえばねじり鉢巻きをして腕組みをした怖いイメージが多かったですが、それとはまったく違った異質な接客をやろうと、バー時代に培った丁寧な接客を徹底しました。この頃は調理には一切タッチせず、ゆで卵やジャガイモの皮をむくぐらいでした」(及川店主)
濃厚な豚骨魚介のラーメンつけ麺を提供し、お客さんもしっかり入っていて何の不満もなく月日が流れていった。
ある日、町田にあった「ラァメン家 69'N'ROLL ONE」(現在は兵庫県尼崎市で「ロックンビリーS1」を営業)で初めて「昆布水つけ麺」を食べ、その味に影響されてすぐに自分の店でも出してみようと1週間もしないうちに限定メニューとして提供したことがあった。まだトレンドになる前で早すぎてまったく売れなかったが、味はとても美味しく、及川さんの記憶にだけ残っていた。
しかし、友人が中国へ…
2018年、友人が中国でもラーメン店を開きたいと日本を離れることになる。
1人ではお店が続けられないと思った及川さんは店を畳むことを考えたが、もうすぐ10周年になるし続けてくれないかと相談され、お店を続けていくことにする。レシピなどわからないことがあれば中国に電話で相談し、なんとかラーメンのクオリティを保ち続けた。
完全に手探りでやっていたが、四苦八苦しているうちにだんだんラーメン作りが面白くなってきて、3年経った頃にはオリジナルで限定ラーメンを作るようになった。その後、メニューをリニューアルし、「ほたての塩そば」をラインナップした。
「当時ほたてを使ったラーメンはあまり見たことがなく、スキマ産業的に始めてみました。当然、今のようなクオリティではありませんでしたが、神保町にはきれいな見た目のラーメンが少なく、注目されました」(及川店主)
さらに、毎月限定ラーメンを作っていく中で、かつては売れなかった「昆布水つけ麺」をもう一度復活させた。煮干しと昆布の合わせだしで作った昆布水を麺の下に敷き、見た目にもきれいなつけ麺を完成させた。
その後、コロナ禍になったが、その時期が明けたので、心機一転、新しい店をオープンしようかと考えた。麺を作ってもらっていた三河屋製麺から紹介してもらい、秋葉原の物件が出てきた。
そこはラーメン店の居抜きで、調べるとお客さんは入っている様子だったが、日中周りを歩いてみるとびっくりするぐらい人がいなかった。それほど自信が持てなかったが、ダメだったらやめて神保町に戻ればいいかぐらいの気持ちでお店を始めることにする。
「麺屋33」で出していたほたての塩そばと、限定で出した昆布水つけ麺を進化させた「ほたての昆布水つけ麺」のお店を作るコンセプトはできていて、店名は「ほたて日和」にしようと決めていた。
物件を8月に借りて、内装ができ次第オープンしたかったが、知り合いの内装業者が時間がかかるということでなかなかオープンにこぎつけられなかった。「ほたて日和」はちゃんと新しい店として始めたかったので、中途半端な形ではオープンせず、内装が仕上がるまで待つことにした。
そこで、内装ができるまでのつなぎとして、及川さんは9月から1カ月限定でわんたん麺専門店の「わんたん屋」というお店をオープンした。
一切告知しないでオープンしたのだが、開店と同時に一気にお客さんが来た。秋葉原は新しいものに飛びつく人が多かったのである。
秋葉原とはいえ、オタクやインバウンドとはかけ離れた場所なのだが、近所で働いている人たちやラーメンファンが一気に集まった。はじめは自信がなかった及川さんも、この人たちの心をつかめれば繁盛するのかもしれないと思い始めたという。
後編記事では、「ほたて日和」のオープン後の日々についてお届けする。及川さんは、バーテンの経験を、どのようにしてラーメン店の運営に生かしたのか。
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