60年前の「アジアっぽい東京」が今の姿になるまで 当時の写真から読み解く「街が変化した」必然

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3 ✎ 4 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

この「30」番の電車は、墨田区の東向島三丁目を起点として、本所吾妻橋を経て隅田川を渡り、その後、浅草、上野、外神田を経て須田町へと至っていた路線だ。

東向島から神田まで現在は東武線と銀座線を乗り継いで30分ほど(画像:地図データ©2024 Google)

都電最大のターミナルは神田にあった

1955年前後の都電全盛期を知る世代に聞くと、当時の東京の人々はみな、この車体前面の番号で、都電の路線、行先を把握していて、人に目的地への行き方を教える時も「○番の都電に乗って、○○の電停で降りて」という具合だったそうだ。

また、神田の須田町、そしてその隣りの電停である万世橋は、戦前戦後を通して数多くの路線が集結していた都電最大のターミナルだった。この「30」番は濹東の向島の地から都心をつなぐ幹線的な路線だったということになる。

「30」番の電車は橋を渡っているところで、その背景には浅草の松屋デパートが見える。位置的に見て、この橋は隅田川に架かる吾妻橋だろう。橋の上では大規模な工事が行われているが、どうも都電の軌道を敷き直しているようだ。

松屋の屋上には土星のような形をした遊具が見えるが、これは、戦後の都内デパート屋上の遊園地の中でも抜群の人気と存在感で知られていた「スカイクルーザー」という乗り物。

現代ではお目にかかれないであろう、スリリングなアトラクション「スカイクルーザー」(写真:東洋経済写真部撮影)

客は、球体を取り囲む輪っか状のところに立ったまま乗り、その輪っかがグルグルと回ることでスリルを味わうというものだった。1949年に設置され、夜は隅田川上のデパート建物屋上で電飾を点灯していたので、当時はかなり目立っていたという。

「ハチブドー酒」の広告が目立つ建物は、現在も盛業中の浅草の老舗「神谷バー」だ。巨大な「ナショナル」の広告を掲げている建物は昭和4年築の「雷門ビル」。松屋、神谷バー、雷門ビルとも戦前築で、太平洋戦争の戦火をくぐり抜けて戦後も使われ続けてきた建物だが、雷門ビルのみ2006年に解体されてしまった。

現在も盛業中の神谷バー(写真:編集部撮影)
次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事