電車かバスか?川崎を走った「トロバス」の軌跡 わずか16年で姿を消した工場地帯の「通勤の足」
電車なのか、バスなのか――。戦後の復興の最中にあった神奈川県川崎市に、風変わりな乗り物が登場した。その名はトロリーバス、略して「トロバス」と呼ばれた。
見た目はバスと一緒だが、日本語の名称は「無軌条電車」。つまり、レールのない電車で、法的には鉄道の一種である。道路の上に張られた架線から屋根上のトロリーポールで集電して車道を走る、なんとも不思議な乗り物だった。
このトロリーバスは川崎市営だった。川崎市の市営交通事業は、戦時中の1944年10月14日に市電が開通したのに始まり、今年で80周年。戦後の1950年12月にはバス路線を開設し、そして1951年3月にトロリーバスの運行を開始した。本稿では、この川崎市のトロリーバスが登場した背景を探ってみることにする。
東日本初だった川崎の「トロバス」
日本でトロリーバスが最初に登場したのは1932年の京都市営、2番目が1943年に開業した名古屋市営とする資料がある。だが、実際には1928年に兵庫県川西市の新花屋敷温泉・遊園地のアクセス用に開業した日本無軌道電車(民営)が最初だった。この路線は営業不振のため、わずか4年で廃止されている。
東日本で最初に登場したのが川崎市営で、全国では4番目ということになる。
すでに充実した市電の路線網を持っていた東京や横浜と異なり、川崎には戦時中に急ごしらえで敷設された、わずかな距離の市電(2023年6月8日付記事「25年で姿消した不遇の路面電車『川崎市電』の軌跡」)しかなく、路線バスの網羅性も低かったのが「東日本初のトロバス」の栄誉を手にできた理由であろう。
ちなみに、都営トロリーバスが開業したのは1952年5月、横浜は1959年7月だった。
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