平野啓一郎、「1つの死刑」で痛感した人生の偶然性 「異世界転生もの」流行の裏にある現代人の感覚

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――SNSなどを通じて他人の人生がより「見える化」された現代は、かつてより人々が「たられば」に翻弄されやすくなったように感じます。

政治も経済もテクノロジー進化も、社会が本当に混沌としていて、「未来がどうなるかわからない」という感覚を非常に多くの人が持っているように思います。「もし自分の人生がこうじゃなかったなら……」という想像力を、すごく刺激されやすい時代なのではないかと。

アニメやライトノベルなんかで「異世界転生もの」がはやっている背景にも、そういった事情があるかもしれません。「自分の人生がどうにでも分岐しうる」という感覚が、現代の多くの人の中にあると思います。

もし違う形のデビューだったとしたら

――平野さん自身にも、人生の「たられば」がありますか?

平野 啓一郎(ひらの・けいいちろう)/1975年、愛知県生れ、北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年、大学在学中に文芸誌『新潮』に投稿した「日蝕」により芥川賞を受賞。近年の小説作品に『マチネの終わりに』(2019年に映画化)、『ある男』(第70回読売文学賞)、『本心』(2024年に映画化)など。評論・エッセーに『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『死刑について』『三島由紀夫論』など(撮影:今井康一)

若いとまだ生きてきた時間が短いから、「あのときああだったら……」と考えることもあまりないかもしれません。ただ、長く生きるほどに「たられば」が増えていくように感じます。

僕は小説家として生きてきましたが、20代のはじめに新潮社に原稿を送って、それが認められて、芥川賞も取って、すごく幸運なデビューでした。もしそうじゃなかったら?というのはすごく考えます。今も何か別の仕事をする傍ら、小説を書き続けていたかもしれないなと。

環境が人をつくるところがあると思っています。今の自分の能力が発展してきたのは、こういうふうにデビューして、こういう環境の中で書いてきたからだ、という感覚です。

もし違った形のデビューだったら、その後に書いていくものも違っていたんじゃないかと思います。

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