平野啓一郎、「1つの死刑」で痛感した人生の偶然性 「異世界転生もの」流行の裏にある現代人の感覚

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――なぜ人生の「たられば」をテーマに作品を書いたのですか?

僕自身が「団塊ジュニア」「ロスジェネ」といわれる世代で、自己責任論というものに強い反発があるんですね。たまたま景気の悪い時代に世の中に出て、たまたま就職がうまくいかなかっただけの人がたくさんいるのに、今世紀になって「全部、自己責任だ」なんて言われるようになって。

最近ではさすがに、もっと構造的な要因があるんじゃないかという考え方が一般的になってきた。みんな「親ガチャ」とか「文化資本」とかいろいろな言葉を使ったり、「(それらによって)貧富の差が拡大再生産されている」と言ったりするようになりました。

人ひとりの人生が「今こうなっている」のは、偶然や運による部分が大きい。それはもう、本人の努力なんかはまったく関係のない要素です。そういう偶然性みたいなものを、改めて主題化したいと考えました。

偶然性に人生が左右されていると認識できれば、今うまくいっている人はちょっと謙虚な気持ちになれるんじゃないかと。うまくいっていない人に対しても、「本人にはどうしようもなかったのかもしれない」と、配慮できるようになるんじゃないかと思います。

秋葉原殺傷事件の「死刑」で考えたこと

――今回の短編集の執筆に影響した出来事もあると。

2008年に秋葉原で無差別殺傷事件を起こした加藤(智大)という人が、ちょうどこの短編集を書いている間に死刑になりました。

当時、あの出来事は社会的に大きなショックをもたらしたし、僕も考えさせられることが多かった。その割には、加藤の死刑が執行されたという報道に対して世間がシラッとしていたというか、ほとんど話題にならなかったように思いますが。

彼は逮捕後、『解』『解+』(いずれも批評社刊)という2冊の本を書いています。僕も実際に読んで、それが非常に興味深かった。自分のことをかなり論理的に分析していると感じました。

こんなにものを考えられる人だったら、それこそ何かのきっかけがあったらこうならずに済んだのではないか……と考えさせられましたし、それが今回の短編集にもつながっています。

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