ブランド物を欲しがる人と推し活する人の共通点 囚われの身になってしまう、偶像崇拝者たち
使用価値とは、何かをするために使えるかどうかということだ。たとえばナイフは、食材を切るために使えるという意味の使用価値がある。ナイフは数万円のものもあるし、数百円のものもある。使用価値はどちらもほとんど変わらない。しかし、耐久性も使用価値に含めるならば、数万円のナイフのほうの使用価値が高いことが多いだろう。
交換価値とは、その商品を生産するための材料費や労働者の賃金のことだ。通常、それはその商品の価格に反映されている。だから、1万円のナイフならば、他の1万円の商品との交換ができる。したがって、交換価値と呼ばれる。
一方、ダイヤモンドなど宝石に使える鉱物の使用価値は低いが、採掘(さいくつ)や加工に多くの人手がかかっているので交換価値が相対的に高くなる。
もちろん一般的には、何かをするために役立ちそうで手頃な価格の商品を買うのがふつうだ。
それは、使用価値が買われているということだ。目的をはたすためにろくに使えないように見えるものは買われない。
ブランドという名にだまされる
ところが20世紀半ばになると、その使用価値をまったく無視した商品が買われるようになった、と指摘したのがフランスの哲学者ジャン・ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』(1970)だった。この使用価値を無視した商品の代表はいわゆるブランド物だ。
バーキンというハンドバッグには自動車1台分の価格を超えるものがあるが、こまごまとした小物しか入らないから、その使用価値は100円ショップで売られている袋と同じでしかない。
では、何が買われているのか。それは、バーキンを持って歩くのはリッチな人間だとかセンスがよいのだといった意味が買われているのだ。
ということは、他人に対するアピールを買っているのであり、アピールは意味を持った言葉だから、言葉を買っているということになる。ボードリヤールはこれを「記号(言葉)の消費」だと表現した。
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