ブランド物を欲しがる人と推し活する人の共通点 囚われの身になってしまう、偶像崇拝者たち
もちろん、言葉を買ってみたところで自分がリッチになるわけではない。見かけのほんの一部分だけセレブ風になるだけだ。それは他人の目ばかりではなく、自分の目にもそう映っている。そして内心は絶望感を味わっている。
では彼らは、本当は何を手に入れたがっているのだろうか。アイドルの関連グッズを買う人の場合も、布きれや紙きれや電磁化されたプラスティックの板が欲しかったわけではないだろう。人は、本当は何が欲しいのか。
自分が欲しがっているものがわからない
ブランド物を欲しがる人、アイドルグッズを欲しがる人、多くの給与や多くの時給というお金を欲しがる人はみな同じだ。欲しがるものをいつまでも手にできないからだ。その前に、自分が切実に欲しがるものが何かわかっていない。
ブランド物を欲しがる人は、究極のところ、身の周りをすべてブランド物で満たしてもなおリッチでいられるような身分になりたいのだろうか。だとしたら、それは現在の自分の否定だから、ブランド物を買い続けるほど自己はますます否定され、その否定が多いほどみじめさが増すばかりとなるだろう。
アイドルグッズを買い続ける人は本当のところはそのアイドルを自分のものにしたいのだろうか。たとえば、アイドルと結婚したいのだろうか。しかし、結婚したとたん、そのアイドルはかつてのアイドルのような状態ではなくなるだろう。なぜならば、ファンとの間に距離を置いた舞台に立っているからこそ、アイドルと呼ばれる特別な存在でいられるからだ。
自分に必要なものの購入やふだんの支払いの額をはるかに超えるお金を手に入れたがる人にとって、多くのお金はより多くの可能性という意味があるのだろう。このとき、その人は、自分の今後の可能性が広がると思っている。
しかし、自分の可能性とは何だろう。それは自分の能力が高まる可能性のことだというなら、何かを練習したり、何かについて勉強するしかないだろう。それは自分の現実の行動にかかわることであり、より多くのお金とは何の関係もないことだ。
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