百田尚樹「"子宮摘出"発言」どれほどヤバすぎたか 「フィクション」で許されるラインとの境界線は?

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本件について、「フィクションなのだから(作中人物の発言は)問題はない」「表現の自由だ」という意見もあったのだが、作者と講談社は謝罪をして、単行本化の際に内容を修正するという方針を示している。

筆者としては、フィクションであったとしても、風説の流布をしかねないような表現は好ましくないため、謝罪と表現の訂正は妥当な判断だったと考えている。

政治性は薄いのだが、2013年に村上春樹氏が『文藝春秋』に発表した短編小説『ドライブ・マイ・カー』の文中の表現が問題視されたことがあった。

小さく短く息をつき、火のついた煙草をそのまま窓の外に弾いて捨てた。たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう。(村上春樹『ドライブ・マイ・カー』より)

中頓別は北海道の実在の町だが、これに対して、中頓別町の町会議員、宮崎泰宗氏から「偏見と誤解が広がる」という抗議が出された。これを受けて、単行本では、町名は「上十二滝町」という架空の町名に改められている。

村上氏の小説の表現は、「深刻な問題」とまでは言えないと思うが、それでも修正を行ったことを考えると、「フィクションだから何を言ってもよい」ということにはならないだろう。

「百田氏発言」の解釈の難しさ

百田尚樹氏は、小説家でもあり、日本保守党の党首、すなわち政治家でもあるという点が、微妙なところである。

このたびの百田氏の発言は、政治家としての発言であることを考えると、単純な「創作物」として捉えることもできない。

もう1つ、参考になりそうな事例がある。少し古くなるが、2017年に作家の筒井康隆氏が、慰安婦少女の像に対して性的な侮辱をするような投稿をTwitterに行って物議を醸した件だ。

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