百田尚樹「"子宮摘出"発言」どれほどヤバすぎたか 「フィクション」で許されるラインとの境界線は?

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私の例の発言に対して取材した10社以上のメディアの記者の中で、私の発言の元動画(わずか3分)を見ていた人は1人もいなかった。 全員、悪意ある「切り取り」の発信を見て取材に来たのだった。(百田尚樹氏のXへのポストより)

百田尚樹
報道陣に「私の発言の全文を見た人いますか?」と問いかける百田尚樹氏(画像:本人の公式Xより)

たしかに、問題の動画の中でも「これはええ言うてるんちゃうで」ということを繰り返し、「SF」として発言しているという断りも入っている。

発言に対するメディアの「切り取り」は、誤認や誤解を招くことも多く、問題が多いことは事実だ。しかしながら、現状ではそれを止めることはできない。公に情報発信する際は、切り取られても誤解を招かないように配慮しながら発言する必要がある。

百田氏の発言は、刺激的な用語や言い回しが多いので、切り取られやすいという側面があるのだが、多くの場合、百田氏自身もそれを前提として確信犯で発言を行っているようにも見える。

切り取りの件はさておき、あくまでも「フィクション」として語ったのであれば、問題はないのだろうか?

「島耕作」で物議を醸した描写

近しいケースとしては、今年の10月17日に講談社から発売されたマンガ雑誌『モーニング』に掲載された『社外取締役 島耕作』の描写が問題になり、講談社が謝罪に追い込まれた事件がある。

本作の中で、沖縄県の辺野古の米軍基地建設の反対運動について、登場人物の女性が「抗議する側もアルバイトでやっている人がたくさんいますよ。私も一日いくらの日当で雇われたことがありました」と発言しているが、デマを事実のように語っているという点が問題視されたのだ。

念のために補足しておくと、筆者は沖縄に4年間住んでおり、辺野古には2度行き、基地問題についても調べたことはあるが、反対運動をしている人がお金で雇われているという事実は確認できなかった。「ない」とは断言できないが、デマの可能性が高いと理解している。

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