脱亜入欧に没頭し西欧を超えられなくなった日本 世界各国の歴史を無視し憎悪を向ける日本人の悪弊

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西欧は海を越え、世界にその世界史を流布したが、それは是々非々を言わせない軍事力と、資本主義という産業力に原因があった。

さらには、それをつくりあげたさまざまな科学、音楽、芸術、宗教などが上塗りされ、ミッション(使命)としてそれらを世界に広めるという責務をもったのである。これらの責務は、白人の責務という言い方もできる。

今でもアフリカ諸国で彼らの独立や歴史が振り返られないのは、こうした白人の責務の結果である。

おごれるものも久しからず

アジア・アフリカ諸国にとっては、植民地から逃れるには、『インドへの道』『アラビアのロレンス』などの文学から、英語やフランス語などの教育に至るまで、世界史の普遍史を学ぶことが必須の条件であったことは間違いない。

さらにそれはマルクス主義思想にも乗り移り、一国社会主義によるマルクス主義の発展という近代化のための社会主義議論が生まれ、アジア・アフリカの国々は、資本主義と並んで社会主義的世界史的責務も背負わされたのだ。

確かに19世紀半ばにいた人々は、遅かれ早かれこうした西欧化、世界史化に巻き込まれ、近代化の道を歩まざるをえなかった。福澤諭吉は、それを直感的に理解していたのだ。

しかし、過去の歴史を振り返れば、おごれるものも久しからず、栄華を誇った文明も早晩衰退し、新しいものに変わっていく。西欧人も、19世紀の中であまりにもうまくいっている西欧支配の未来に不安に思ったものも多くいたのだ。

18世紀のモンテスキューの『ローマ帝国盛衰原因論』から、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』にいたるまで、こうした書物が読まれたのは、西欧支配の盤石さに対する西欧人の一抹の不安であった。そのなかでも、もっとも典型的なものがO・シュペングラーの『西洋の没落』だ。彼はこう書いているのである。

 

〈われわれから見れば1500年から1800年にわたって、西ヨーロッパで行われた事件は、「世界史」の重要な三分の一を満たしている。4000年の中国史を回顧して、そこから判断を下す中国の歴史家から見れば、それらの出来事は短い、ほとんど意味のない挿話であって、かの歴史『世界史』において一紀元を画しているところの漢時代(紀元前206年から後260年)ほどにも重要でないのである」(『西洋の没落』第一巻、村松正俊訳、五月書房、102ページ)〉
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