脱亜入欧に没頭し西欧を超えられなくなった日本 世界各国の歴史を無視し憎悪を向ける日本人の悪弊

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私は西欧史、とりわけ思想史の研究者なので、西欧の文献を捨ててインドや中国、イランなどの文献を読むというのは、今さら簡単なことではない。

しかし、先日開催されたBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの5カ国)サミットを見ても、19世紀の西欧社会による支配が再びアジアの支配に移りつつあることは、否定しがたいであろう。

しかし中国やロシアに好感を示すと、福澤の時代同様、あらぬ疑いと誹謗中傷を受けることは必至である。それは、いまだそう見えない人士がこうした考えを売国奴と見るからである。その意味で幕末の若者は、当時のものから見て売国奴であったともいえるのだ。

西欧史がいかに世界の普遍的な歴史になったか

最近、筆者は世界史についての本を3冊出版した『「19世紀」でわかる世界史講義』(2022年)、『資本主義がわかる「20世紀」世界史講義』(2023年)、『21世紀世界史講義―恐慌・パンデミック・戦争』(2024年)と、いずれも日本実業出版社から上梓した。

また、前田朗さんとの共著だが『希望と絶望の世界史―転換期の思想を問う』(三一書房、2024年)も出版した。

これらの本の中で、いかに西欧の歴史が世界の普遍的な歴史となっていったかという歴史の変遷を、私は明らかにしている。西欧でも18世紀のカント以来、西欧人がその産業力と軍事力で世界を支配して以降、世界は西欧をまねて近代化していかなければならないという脅迫観念にとらわれ、世界は西欧化されねばならないという啓蒙主義思想にとらわれていった。ヘーゲル、そしてマルクスもこうした普遍史という概念から免れているわけではない。

こうした世界史が誕生した背景には、西欧で見られたイギリス、フランスといった国民国家の形成がある。それらの国で国民国家が形成されることで、その国を支配する主権者は市民、すなわち国民になったが、世界は、すべてこうした国民国家と国民主権の歴史をたどらなければならないという世界史という観念が生まれる。

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