東京はひと時の舞台、30代女性「仮暮らし」の部屋 合わない婚活を止め「望む未来」をつかむまで

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「実家を出て大阪の大学に行ったのは、同じく大阪の大学に通っていた母の影響です。そして今、こうやって東京で働き続けているのは、大学、そして1社目で出会った人たちの影響だと思います。

大学では主に東南アジアの文化について学びました。ゼミの教授は、まるで父親のように生徒1人ひとりをじっくりと見てくれる方。その教授について学ぶうちに、広い世界を見たいという欲が出て、就職に関しても『どうせなら、日本の首都に行こう』と、思うようになったんです。

卒業後は東京のオーガニックコットンを専門とするアパレル会社に就職し、そこで社長の傍で秘書のような仕事もしました。女性の社長だったのですが、その方を通じて多くの女性経営者の生き方を知り、起業に憧れを持つようになりました」

思い出のマグネット
大学では国際文化を学び、東南アジア各国で研修をした。その頃の思い出のマグネットがキッチンに(撮影:尾形文繁)

佐藤さんは家族に守られていた控えめな子ども時代から、さまざまな人々との出会いによって、内に秘めていた意欲が湧き上がっていった過程を振り返る。「田舎暮らしの自分からすると、都会で学んだり働いたりするのは冒険。思い切ってチャレンジした結果、いい人との出会いに恵まれたと思います」とのこと。

しかし、全てが順調だったわけではなく、佐藤さんも停滞期に悩む時期があった。その時期に起こった出来事やそこから湧き起こった感情が彼女を変え、現在のライフスタイルにたどり着くきっかけとなったそうだ。

合わない婚活が「らしさ」を奪う

佐藤さんが現在の住まいに引っ越してきた理由は、婚活疲れと失恋だった。

「20代の後半ごろは多くの女性がそうかもしれないのですが、私も『30歳までには』と、結婚や子どもを持つことに焦る気持ちがありました。今も、自分の家庭を持ちたいという思いはあります。でもあの頃は、その気持ちが空回りしていたかもしれません。

転職をしたときの会社選びでも、家庭を持つ可能性を視野に入れていました。オーガニックコットンの会社では、とてもやりがいのある仕事をしていましたが、結婚後を考えたら、大きな会社で福利厚生を活用できる環境の方が子育てしやすいのかなと思って」

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