2つ目に重要な点は、石破首相が自民党総裁選挙に出馬する際に公表した政策集に、「経済あっての財政との考え方に立ち、デフレ脱却最優先の政策運営を行う」と明記していたことだ。これなら日本銀行の引き締めに慎重な姿勢を示すのは当然である。もちろん、「デフレ脱却最優先」というのは安倍政権以来の大原則であり、石破首相は賛同していないのだが、総裁選挙出馬の過程で自民党政治家らとの折衝を経て、石破首相は渋々ながらも受諾したのだろう。
安倍政権以来の路線は辛うじて「継続」したが……
もちろん、総裁選挙の決選投票で勝利するためには、菅義偉元首相、岸田文雄前首相の支持を得る必要があった。特に、アベノミクス実現を支えてきた菅元首相らの経済政策の考えは強固で、これに石破首相が従ったのだろう。安倍元首相との関係が深かった加藤勝信氏が財務大臣に起用されたことも、安倍政権以来の財政金融政策運営の根幹がかろうじて続いていることを示唆している。
石破首相は10 月4日の閣議において、「総合経済対策」の策定を指示した際に、「デフレからの脱却を確実なものとするため、3年間の集中的な取り組みが必要」との考えを示した。この文言は、政府の経済認識と歩調をあわせて、金融政策を運営することを日銀に要求する意味合いがある。
筆者は、先に紹介した石破首相の新著の内容を踏まえて、同氏が首相となれば、金融財政政策が安倍政権以前へ逆戻りするリスクを警戒していた。
ただ、石破首相本人の経済政策に対する考えの根幹が弱く、「反安倍」の政策姿勢を示すために政治的な方便だった、ということなのかもしれない。また、すでに自らの派閥が弱体化していたこともあり、石破首相の側近には、マクロ経済政策を提唱するブレーンがいないので、菅、岸田両氏の影響が混在しており、それゆえにわかりづらいのかもしれない。
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