「隣はヒズボラ」パレスチナ難民キャンプのヤバさ 9月にレバノン・ベイルート襲った空爆のその後

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ブルジ・バラジネ難民キャンプは、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が保健や教育、社会保護などの基本的なサービスをパレスチナ難民やシリア難民に提供する同国内12のキャンプの1つであり、ヒズボラの本部とされてきたダヒエとは目と鼻の先に位置している。

路地を一本間違えると、ヒズボラの拠点であることを示す黄色い旗がひしめく通りに出てしまうため、かつて同キャンプに足を運んでいた筆者も何度か冷や冷やした経験がある。

ヒズボラはレバノン政府正規軍と異なる軍事部門を有しており、拠点とする地域には銃を携えた兵士を配置している。その支配地域に立ち入ることで、不要なトラブルに巻き込まれる恐れがあるのだ。

同キャンプに暮らす旧知の友人が、27日の空爆の様子と、現在同国でパレスチナ難民が置かれている状況について語ってくれた。

「いつ家に帰れるかわからない」

ブルジ・バラジネ難民キャンプで生まれ育ったクルドさん(50)は、今回の空爆で家を追われることになった。人生で3度目だという。

1975年に始まった内戦中に2度の避難を強いられた。いずれも数カ月から数年の避難生活を経て無事に自宅への帰還が実現したが、以来、激動の数十年間を乗り越えてきた。

自身もパレスチナ難民である彼女は、長年さまざまなNGOでの活動を通じて同キャンプの状況改善に取り組んできた経験があり、国外にも多くの友人を持っている。

わずか1平方kmのブルジ・バラジネ難民キャンプには1万8000人のパレスチナ人とそれをしのぐ数のシリア難民が暮らす。無造作に張り巡らされた剥き出しの電線による感電事故は後を絶たない(写真:筆者撮影)
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