日本がアメリカにかなわない根本的理由とは何か 自民総裁選の議論も日銀記者会見もつまらない

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結局、大統領選の論戦の面白さ、自民党総裁選のつまらなさ、というのもそういうことなのだ。アメリカでは、永遠に建前。建前で勝負は決まる。日本は、建前を言うが、本音主義、実質主義、なので、建前をしゃべる方も聞く方も、まあ意味ないけど、形だけ、と思ってしまっているから、ちゃんと聞いてないし、しゃべる方も、表面的な見せ方だけちょこっと練習するだけだ。

アメリカの大統領選討論会の「練習」は、そんな生半可なものではないのは、誰もが知っていることだ。本人も人生最大のイベントと捉えているし、スタッフや金(カネ)のかかり方がまるで違う。討論会だけでどれだけのカネがかかっていることか。

だから、日本では政策論争しようとも、どうせ実際は違うよね、と聞いている側は思っているし、しゃべる側もどうせ違うが、後で揚げ足を取られたり、言質は取られないように、具体的な政策提言なのに、とてつもなく曖昧に(しかししゃべり方だけは力強く)主張する。

まあ、なんて日本らしい討論会だろうと思ってみているが、見る側も、日本的なプロで、結局見るところは、コイツ結局いいやつじゃないじゃん、とか、思ったよりも感じが良くて信用できそうだ、とか、人格のイメージの見分け術に関しては、アメリカの聴衆よりもはるかに優れているのではないか。テレビのワイドショーも無駄に見えるコメンテイターも長く成功し続けている人は、ほぼみんな「いい人」「好かれる」人だ。それが日本だ。

もはや本音で論戦を戦わせる必要がある?

しかし、やっぱりこのままでは日本はダメなのではなかろうか。本音で議論を戦わせることが重要なのではないか。金融政策決定会合をやっても、審議委員という社外取締役的なのか、社内の中途採用取締役なのか、わからない人が、後で公開される議事録に残ることを前提に議論して、本当に意味のある議論になるのか。

かつてのように、「円卓(マルタク)」という内部で議論するスタイルのほうが、やっぱりよっぽど実質的にいい議論ができるのではないか。自民党の総裁選挙も、あんな茶番の討論会よりも、密室での冷や汗の吹き出す腹の探り合いで決まるほうがよっぽど本質的で、総理の3年間は党という組織がまとまるのではないか。そしてそれは政治、政策にとってもプラスではないか、という気がしてくる。

かつての密室がダメ、というなら、公開討論は今のままではダメだ。日本はどっちにするのか、あるいは第三の道、日本的な世界にこれまでにない、画期的な社会や組織としての議論の在り方を発明して、イノベーションを起こさないといけないのではないだろうか。 しかし、そのイノベーションを起こすための議論をする場が日本には存在しえないので、私はやっぱり絶望的になるのである。

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