東武鉄道・東武タワースカイツリー・東武タウンソラマチの3社が発表したデータによると、開業から12年で東京スカイツリーは4840万人、東京スカイツリータウン全体では3億8390万人が来場しているなど、歴史は浅いながら東京を代表する観光地といっても過言ではないだろう。
かつては浅草駅もあった、人流と物流の要衝として発展
そんな東京スカイツリー、東京ソラマチが位置するのは東京都墨田区押上。この「押上」という地名については、2012年の開業をきっかけに知ったという人も多いのではないだろうか。
周辺はいわゆる「下町」と呼ばれることも多いエリアだが、その代表格として最も知名度のある地名といえば、やはり浅草であり、浅草寺のある一角こそ浅草だ、と認識している人も多いはずだ。しかし、押上もかつては浅草寺一帯に負けず劣らず、かなりの繁華街であったとされる。というか、こっちも「浅草」である。
どういうことか。実は、現在の東武スカイツリーライン「とうきょうスカイツリー駅」が、かつて「浅草駅」を名乗っていた時代があるのだ。
同駅の歴史は1902年に始まっており、当時の名前は「吾妻橋駅」であった。その後、1910年に「浅草駅」へと改称。さらに1931年、現在の東武鉄道浅草駅(当時は「浅草雷門駅」)のオープンに伴い、「業平橋駅」へと名前を変え、東京スカイツリーの開業を前に、2012年にとうきょうスカイツリー駅という現在の駅名へと落ち着いた。なお、同駅と「押上(スカイツリー前)駅」とは全く別であり、少々紛らわしい。
名前の変更だけでなく、駅の役割もいろいろと変遷をたどってきた。1902年の開業当時は、東武伊勢崎線のターミナル駅という立ち位置だったものの、1904年に東武亀戸線の開通によって一時廃止。4年後の1908年に貨物駅として再び開業し、浅草駅を名乗り出した1910年には旅客駅としての営業も再開した。このころには都心部につながる路面電車も乗り入れ、交通の利便性が向上している。
下町間のアクセスや都心部へのアクセスの要衝だけでなく、物流の拠点としても同駅は大きな役割を果たしてきたとされる。駅には北十間川と結ぶドックがあり、鉄道で同駅まで運んだ貨物を舟運へと積み替え、川を伝って全国へと運んでいったという。
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