夜中は先生たちと協力をして、不安をできるだけ軽減できるよう、顔を見て声かけをすることもあるという。
「旅行はいい思い出だけ持って帰ってもらいたいですよね。夜尿症で失敗したなんて、思い出に傷がついてしまいます。そうしたことにも目を配ります」(馬場看護師)
吉田貴明と文哉兄弟の修学旅行は順調だった。肺に先天性の障害がある兄の貴明も、本人としては若干の不安はあったものの、弟の文哉や、クラスメイトたちの気遣いもあって、問題なく過ごせていた。
滞在2日目は、朝から浅草の散策だ。クラス単位で浅草寺などを見学した後、午後からの自由時間では、数人のグループに別れて行動した。ただ、ここで少しはしゃぎすぎたのかもしれない。貴明は、ホテルに帰ってから発熱してしまった。
「兄弟2人には秘密にしていましたが、実は2人の母親が、近所のホテルに宿泊していました。やっぱり心配なんですね。私も最近母親になったので、その気持ちがすごくわかります(笑)」(馬場看護師)
貴明は、少し熱はあるものの、食欲などに問題はなかった。馬場看護師は、近くに滞在している母親に携帯電話で連絡を取って、現状を伝えた。
「よくあることなので、とりあえず様子を見て、問題なさそうであれば、翌日のディズニーランドにも行きましょう、ということになりました」(馬場看護師)
ただ、貴明本人はかなりショックだったようだ。
「みんなに迷惑をかけるから、明日のディズニーランドは諦めるよ」
弟の文哉に、そんな弱音を吐いた。
「そんなに落ち込むなよ、微熱だよ。明日になれば下がってるよ」
文哉は笑って励ました。
弟・文哉のアイデア
翌日、幸い貴明の熱は下がった。近所のホテルに滞在していた母親も一安心。吉田兄弟は揃ってディズニーランドに行けることになった。
バスで到着すると、一足先に文哉がディズニーランドのスタッフの元に駆け寄った。事前に依頼しておいた園内用の車椅子を受け取るためだ。文哉は兄のために、学校や旅行会社協力のもと、前々からランド側と連絡を取り合い、車椅子がレンタルできるように手配していたのだ。
「ディズニーランドは広いから、今日はこれに乗って移動しようぜ。ほら、ここに酸素ボンベも入れられるんだぜ」
文哉はそう言いながら、背中のポケットにボンベをセットした。
「ありがとう」
突然のことに、貴明はそれしか言えなかった。
車椅子は友達が代わる代わる押してくれた。おかげで、貴明は体調を崩すことなく過ごすことができた。念願だったスプラッシュマウンテンにも乗ることができ、兄弟仲良く写真に写ることができたようだ。
「ここまでお話ししてきた、吉田貴明君と文哉君のエピソードは、10年ほど前の出来事です。弟の文哉君は、成人して元気に暮らしているようですが、兄の貴明君は、二十歳になる前に亡くなったと聞きました。中学校の修学旅行は、最高の思い出になったに違いありません」(馬場看護師)
旅人たちの思い出作りを支えるため、ツアーナースの仕事は続く。
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