今さら聞けない「ポピュリズムが台頭する」なぜ そもそもポピュリズムは「悪」なのか?

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ヨーロッパのポピュリストとして筆頭に挙げられるのは、「フィデス」という政党を率いるハンガリーのオルバーンでしょう。イタリアで初の女性首相となったジョルジャ・メローニは「イタリアの同胞」という極右政党を率いています。また、ドイツでは反移民・難民を訴える「AfD(ドイツのための選択肢)」が議会第三党にまで成長しています。

(画像:大和書房)

ポピュリズムが初めて「登場」したのは?

では、ポピュリズム概念について最低限のことを確認しましょう。

まずポピュリズムの語が世界で初めて登場したのは、19世紀末のアメリカ合衆国でした。アメリカ西部の農民が起こした政治運動でポピュリストを名乗る人々が現れます。彼らの主張は東部エスタブリッシュメントへの批判でした。

当時のアメリカは産業革命の進展で工業化が進んでいましたが、西部で生産される小麦は都市への食糧供給として重要さを増していました。しかし、農産物を都市へ運ぶための鉄道運賃を高く設定され、農民の手取りが少なくなることへの不満が政治運動につながったわけです。

民主党と共和党という現在まで続く2大政党は、こうした農民の窮乏に耳を傾けなかったのです。そして1892年の大統領選挙に出馬したポピュリスト党は10%弱の得票率と善戦しました。結局はポピュリスト党の主張を民主党が取り入れたことで、この運動は短命に終わります。

次にポピュリズムを名乗る運動が広まったのはラテンアメリカでした。ラテンアメリカは広大ですが、産業構造や人口構成にほとんど違いがないために、多くの国々で同時多発的な政治運動が展開されます。

19世紀前半に独立して以来、経済的には一次産品の輸出が主な産業となっています。政治的にはプランテーション地主が権力を独占する寡頭支配体制が続いていました。1930年代に世界恐慌がラテンアメリカにまで広がると、農産物価格の下落から農民の生活が苦しくなります。これを背景としてポピュリスト政権が各地に成立します。

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