配属1年目には銃撃事件に何度も遭遇した。父親には数年の「猶予」があり、残された日々について計画を練ることもできただろうが、自分は仕事柄、いつ死んでもおかしくないと思うようになる。
そこでライアンは父のように手紙を書くことにした。しかしそれは思いのほか難しかった。恐ろしく時間がかかってしまうのだ。
患者が希望を手紙で伝えるプロジェクト
それなら「ビデオレター」はどうだろう。しかし、ウェブカメラで撮影する「ビデオレター」は、予想以上の難しさだった。娘の結婚式に花を添えようと録画を始めたが、ひたすらすすり泣くだけの映像になってしまい、意味のわからないメッセージになってしまった。
こうした経験を活かし、ライアンが設立したのが「エバープレゼント」だ。健康な人や病気の人など、誰もが映像を制作できる場を提供する。愛する人の死後もその映像を共有してもらうのが目的だ。
ライアンにとってもう1つの利点は、この先の人生を考えるにあたり、ビデオの存在が心の支えになっていることだ。たとえ人生の終焉を迎えることになっても、「家族にはすべて言い残した」という安心感がある。
カリフォルニア州の病院「スタンフォード・ヘルスケア」の医師も、手紙を書くプロジェクトに取り組んでいる。終末期について、患者により深く考えてもらうため、緩和ケアの医師が手紙の形式を用いた事前指示書を導入している。患者は今の自分にとって何が一番大切か、人生の終わりに何を求めるか、家族に覚えておいてもらいたいことを記す。
このプロジェクトにより、患者は自分の希望をしっかり伝えられるようになった。終末期の計画を明確に文書化することが(患者にとっても介護者にとっても)「よりよい死」につながるならば、日ごろから手紙を書く練習を行う価値はある。人生の苦難を少しだけ楽に乗り越えられるかもしれない。
ここに大きな教訓がある。イギリスの哲学者デレク・パーフィットは、未来の自分とのつながりを考えることで死への恐怖は薄れると考えた。私たちの人生を、互いにある程度のつながりを持つ個々の集合体と定義するのであれば、死はそう恐れるものではないのかもしれない。
私たちは死後も愛する人々の心の中で生き続ける。ほのかな光のように、心に灯り続ける。主に親しい人間関係によって存在し続ける。
他者に伝えた基本的な価値観や印象、あるいは他人が語る物語などを通して、私たちは死後も世界に影響を与え続けることができる。
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