米国の政府内外を含む多くの「政策有力者」は、日本国民が安倍晋三首相の集団的自衛権に関する取り組みにここまで怒りを覚えていることに困惑している。
日本は防衛分野で、責任や役割を増すことに少しずつ前向きな姿勢を見せてきた長い歴史がある。だから安倍首相が提案している内容はその流れにおける一歩にすぎない、と多くの者が主張している。
「過去との決別」を強調しすぎた安倍首相
ダートマス大学の学者であるリンド氏も新聞の論説で次のように公に述べる。「(集団的自衛権関連法案は)今日、増大する脅威に直面している(日本という)非常に責任感があり平和な国の、長い進化における新たな一歩だ。同法案は日本の安全保障政策の変化というより、むしろ継続性を示すものである」。
リンド氏のように、集団的自衛権を単なる一歩として売り込むことは安倍首相にもできただろう。彼がそれを選択しなかったのは、過去との決別を強調したかったからだ。占領下で書かれた憲法によって押し付けられた戦後秩序の転覆だ。
実際、憲法第9条の改正を推奨する最近の自民党のパンフレットに描かれた漫画の中では、「敗戦した日本にGHQ(連合国軍総司令部)が与えた憲法のままではいつまで経っても日本は敗戦国なんじゃ」と話すおじいさんが描かれている。
それが、1930年代に対して安倍首相が抱くロマンチシズム(日本の侵略行為の否定、南京大虐殺の否定、「慰安婦」の強制連行における軍や政府の関与の否定など)の本質なのだ。
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