支配下にある小企業は「小さい」を活かせない
以上で述べた系列関係は、製造業においてとくに顕著だ。しかし、程度の差はあっても、ほかの産業でも存在する。
日本経済がこうした構造を持っていることを考慮に入れなければ、いかなる政策論も、現実的なものになりえない。マクロ政策も、社会保障も、税も、雇用もそうだ。
ところで、「日本経済が多層的」ということ自体は、高度成長期の二重構造論で指摘された。ただし、それが問題にしたのは、系列関係というよりは、製造業と農業やサービス業の間で成長率や所得に格差があるということであった。つまり、「高度成長に取り残される産業や零細企業を保護しなければならない」というのが主たる問題意識だった。
その後、社会保障によるセイフティネットが準備され、経済成長で平均所得が上がった。そのため、こうした議論は影響力を失った。
しかし、日本経済の多層的構造は、依然として存在しているのである。ただし、重要なのは、貧富の格差そのものではない。もちろん格差は問題なのだが、それは、いまや対貧政策で対応できる問題ではなくなっている。それにもかかわらず、日本では、依然として二重構造論的アプローチの議論が多い。
現在の日本での問題は、国際条件と技術の変化によって、この体制の基幹が大きく揺らいでいることだ。そして、蛸壺体制であるがゆえに対応ができないということだ。蛸壺を破壊する力が生じているのに、蛸壺を守ろうとしている。だから、問題を解決できないのである。
企業規模が小さければ、意思決定を素早くできる。だから、変化に対して対応しやすい。IT革命がその重要性を高めたとして、Fast eats slowと言われた。ところが、そうした小企業の有利性を、日本では活かす余地がない。選択の自由を持たない単なる端末だからだ。これが日本経済の本質的問題である。
早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授■1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省(現財務省)入省。72年米イェール大学経済学博士号取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授などを経て、2005年4月より現職。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書は『金融危機の本質は何か』、『「超」整理法』、『1940体制』など多数。(写真:尾形文繁)
(週刊東洋経済2011年11月19日号)
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