紫式部は見た!若宮誕生祝いの"公卿たちの醜態" 酔いつぶれて見るに堪えない行為をする者も…

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そのほかにも、隅の柱では、権中納言が兵部という女房の袖をひき、聞くに耐えない冗談を大声で飛ばしていたとも紫式部は書いています。

しかし、その大声を聞いても、邸の主人・藤原道長は注意も何もしなかったとのこと。無礼講は続き、権中納言はますます酔ってしまいました。

(このままでは、大変なことになる)と紫式部は感じ取り、宰相の君と示しあわせて、宴が終了したらすぐに身を隠してしまおうと考えます。ところが、東廂(廊下のような細長いスペース)には、道長の息子たちや宰相中将がいて、騒々しくて、行くことができない。そこで、中宮の御帳台(天蓋付きのベッド)の後ろに隠れていました。

しかし、そこでもある人に見つかってしまいます。殿(道長)に見つかってしまったのです。

身を隠していたが、道長に見つかってしまう

道長は、几帳の布を取り払い、紫式部と宰相の君を捕まえて、道長の前に座らせました。紫式部たちにとって最悪の事態になってしまったと言えるでしょう。

道長は「和歌を一首詠め。さすれば許してやろう」と話します。紫式部は、恐る恐る次のような歌を詠みました。

「いかにいかが数へやるべき八千歳のあまり久しき君が御代をば」と。(今日の五十日の御祝いを、どのように数えましょうか。八千歳余りも続くに違いない、末永い若君の御世を)という意味の歌を詠んだのです。

道長が満足したのは言うまでもないでしょう。「見事に詠んだな」と2度ばかりつぶやくと、自らも「あしたづのよはひあらば君が代の千歳の数も数え取りてむ」(鶴は千年の齢を持つという。その寿命がもし我にあるならば、若君が千歳になるまでその年を数えることができるだろう。我は命が尽きるまで若君に尽くす覚悟だ)と詠んだのです。

自信満々、生気に満ちあふれた歌ですね。紫式部は道長の歌を聞いて「本当にしみじみと頷けるお歌だ。殿は若君誕生をずっと願っていたのだから。殿がこのように盛り立てるので、儀式や御祝いの品といったすべてのものの輝きが増すのだ。私のような分際の者まで、千代どころではない若宮様の将来が次々に思い浮かべられた」との感想を書き残しています。

道長はご機嫌で「中宮様、お聞きですか。うまく詠めましたぞ。中宮の父として私はなかなかのものだ。私の娘として、中宮様も素晴らしい。妻も、よい夫を持ったと思っているだろう」と饒舌に語ります。

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