彼女によると、問題の正体が判明するには少々ときを要した。古いビルには、使い古した家具がたくさんある共有部屋があった。そこにみながランチを持っていって一緒に食べたものだった。
たわいのない会話の中で、誰かの問題――番組の表看板にふさわしい人を探していたり、いいアイデアを思いついたが視聴者を夢中にさせる何かが足りなかったり――を別部門の人が偶然解決してくれることが再三起きたのだ。
ところが、新しいビルには中央部に会合をする場所がなかった。1980年代の建築家は、そうした空間を無用と考えていたからだった。それは仕事には「かかわりのない」もので、仕事の一部ではないからということだった。
結果として、以前のような個人的な接触の機会が、会議での他の重要な議題の合間に詰め込まれた。情報やアイデアの流れが重要な社会的側面を失い、わずか数カ月前には成功をきわめたユニットはまるで魔法が解けたように失速した。
画期的なアイデアが生まれるかどうかは、協調、近接度、人々の集まり、多様な視点……そして思わぬ発見や幸運(セレンディピティ)にかかっている。
これらの条件はどれも単純に義務化したり押しつけたりすることはできない。それでも、相互のつながりのための空間と互いのための空間を用意すれば整えることができる。
伝説となっている研究所の環境
こうした空間がどれほど重要であるかは、伝説となっているケンブリッジ大学のイギリス医学研究局の分子生物学研究所によって実証されている。この研究所の創立については、今一度語られるべきだろう。
1950年代に研究所の建設計画に携わった設計者たちは、平等の精神が重んじられる戦後の世界では共同レストランはもはや時代遅れだと考えた。
しかし、研究所を創立した生化学者のマックス・ペルーツの考えは違った。彼は共同レストランの設置を主張したばかりでなく、そこでは(タダでなくとも)上質で安価な食事を提供すべきだと要求した。
この条件のどちらが欠けても、研究者たちはサンドウィッチを自分の机の上で食べて、互いに話すことがないだろうというのだった。