とんがっているほうがむしろいいとの風潮--『ザ・ラストバンカー』を書いた西川善文氏(三井住友銀行名誉顧問、前日本郵政社長)に聞く
「いびつな銀行マン人生」の回顧録が話題だ。安宅産業処理、平和相互銀行・イトマン事件、磯田一郎追放、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革……。その現場で何があったのか。
──息の抜けない仕事の連続でしたか。
破綻処理と再建、あるいはスピードと決断。いつも共通するものがあった。
──住友銀行の行風が性に合っていた?
入行してから10年余り大阪にいた。うち7年近くが、調査部と審査部の企画部門。調査部は、企業の状況を調べて審査部に意見を述べるのがメインの仕事だ。この間に銀行員としてのバックボーンができた。自分の書いた所見を次長クラスの人がマイルドな内容に変えたりする。それでは所見の意味がなくなると、クレームをつけた。
──そういう上司は出世していないとも書いています。
当時は、それでは人は育たない、とんがっていていい、むしろとんがっているほうがいいという風潮が行内にあった。
──そして審査第一部、安宅処理を専門に担当した融資第三部に。
安宅産業の苦境は1976年9月に発覚した。まず行内にプロジェクトチームができて、そのメンバーに加えられた。不良債権は処理するが、どこかに吸収合併をしてもらわないと再建は難しいと、相手としてまず住友商事を考えた。ところが、この問題の最高責任者になった樋口(広太郎)さんと住商の財務責任者とが犬猿の仲。安宅は新日鉄の有力問屋に入ってもいて、一方、住商には住友金属がある。結局、嫁入り先は伊藤忠商事で落ち着いた。