とんがっているほうがむしろいいとの風潮--『ザ・ラストバンカー』を書いた西川善文氏(三井住友銀行名誉顧問、前日本郵政社長)に聞く
──住銀の磯田時代とは。
入行以来、堀田さんは別格として、浅井、伊部、磯田、小松、巽、森川と頭取はいるが、この中で秀逸だった。ただ、かわいくてしようがないお嬢さんがいて、イトマンに入り込んだ連中のわなにはまった。お嬢さんも性格の激しい人で、ある社長令息に嫁がせようとしたが、ダメだった。
──わかしお銀行に逆さ合併という荒業もしました。
よくそんな恥ずかしいことをするな、と言われた。これで一気に財務を改善できた。
懸念したのは海外でのIR。ただこれもけっこうスムーズにいった。ロンドンでは、旧知のイングランド銀行のロイド・ジョージ総裁が、FSA(金融サービス機構)に電話を入れておくから難しいことを言わないように、と便宜を図ってくれた。出向くと、FSAの長官がビルの1階で迎えてくれるほどで、とっつきの悪い人と心配していたがそんなこともなく、了解していただけた。
──さくら銀行との合併の後、資本増強で引受先をゴールドマン・サックスに絞り込んだ際にもエピソードがありました。
ゴールドマン・サックスのテレビ会議室でこちらの深夜にニューヨークとつないで話をした。私はもう全額お世話になろうと決めていたし、2回ぐらい金額を増やした。最後にはいったいいくらいるのだと、ポールソンCEOが言い出して、最大これだけと言うと、「わかった」と。ポールソンさんとは長い付き合いで気が合い、言うことを真摯に聞いてくれる間柄になっていた。
ところが、決定の段階になったら、奥(正之・当時副頭取)君から待ったがかかった。もともと三井銀行はJPモルガンと親しい。どうしてもそことやりたいなら君が勝手にやれと、寒いときだったので、オーバーを持って僕は帰るよと立ち去った。そのときはのるか反るかだった。