「手術or抗がん剤」医師はどうやって決めるのか 意思決定が「致命的なミス」になり得る外科医

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2つ目は、「自分で決めなければ、覚悟が決まらないから」である。選択とは、何かを選ぶことであり、何かを選ばないことを決意することである。もっと言うと、実はどちらを選んでも大した違いがないことが多いという決断は多い。

大切なことなので何度も繰り返すが、僕は「選択とは、何かを選ぶことではなく、選び取ったほうの選択肢で行くと覚悟を決め、あとで『ああ、自分が選んだほうが正解だった』と言えるように、圧倒的な努力によって現実世界を捻じ曲げること」だと思っている。

他人の助言で決めた選択は、少しでも不都合なことがあると「あの人の意見は間違っていたな」「信じた自分がバカだった」などとその人のせいにしてしまう。そこに圧倒的努力は生まれない。

いろんな人に意見を聞いてもいい。助言をしてもらってもいい。でも、集めた情報を元に最後に決めるのは、たった一人の自分のほうがいい。

「先生はどちらがいいと思いますか」

外科の医者をやっていると、がんの患者さんについて手術と抗がん剤とどちらも選択できるシーンが多々ある。どちらを選ぶかは、建前上は「患者さんと一緒に相談して決めましょう」ということになっている。

だが、診察室では現実にどちらかをすすめることになってしまう場合がほとんどだ。もちろん、過去の研究データや自分の経験、さらには同僚医師の意見も合わせて提示し、色をつけずにメリットとデメリットをずらりと並べて患者さんにどちらがいいかを考えてもらう。

それでも、「先生はどちらがいいと思いますか」と聞かれることが多い。それを答えると、まず間違いなく患者さんは同じ選択をする。だから、説明する前に手術にするか抗がん剤にするか、自分の中で決めておく必要があるのだ。

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自分が患者さんと同じ病気だったら、こちらにします。あるいは自分の親だったらこちらにします、と言う。

なるべくなら言いたくない。

言ってしまったらそれは僕が誘導したことになり、そうなると万が一思うような結果にならなかった時に責任を負わねばならないからだ(実際に悲しい結果になった場合に、「お前が言ったからだ、責任を取れ!」と言う患者さんはまずいない。でも、責任を強く感じる)。

その人の、文字通り命運を分ける選択をするのは、本当に苦しいしつらいことだ。けれど、外科医たちはみなその壮絶な苦痛を甘受し、それこそがプロフェッショナリズムだと思っている。

中山 祐次郎 外科医

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なかやま ゆうじろう / Yujiro Nakayama

1980年神奈川県生まれ。鹿児島大学医学部医学科卒業後、都立駒込病院、福島県高野病院院長、総合南東北病院外科医長を経て、湘南東部総合病院外科に勤務。2023年、福島県立医科大学で医学博士。21年に京都大学大学院医学研究科で公衆衛生学修士。専門は大腸がんや鼠径ヘルニアの手術、治療、外科教育、感染管理など。資格は外科専門医、消化器外科専門医、がん治療認定医、ロボット手術プロクター(指導者資格)。小説『泣くな研修医』(幻冬舎)はシリーズ57万部を超えるベストセラーに。著書に『医者の本音』(SBクリエイティブ)、『俺たちは神じゃない 麻布中央病院外科』(新潮文庫)、『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと』(幻冬舎)など。二児の父。

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