その後、いったん帰国してから2001年にニューヨークを目指したのは、ブロードウェイのミュージカル「ライオンキング」で活躍するパペティア(人形師)になるという超無謀な目標があったから。マンハッタンの劇団に所属し、大きな舞台へのコネクションを夢見て毎日練習に精を出していました。
ですが、ニューヨーカーの英語は、ほかの場所と比べてもとにかく早くて訛りもキツい。まったく理解できないこともあったし、素人同然だから相手が満足する作品が作れることはまずない。「何のためにニューヨークに来たんだ」「チャイニーズは勉強しかできない(外国人にとってアジア人=中国人という認識が強いのです)」と、特に白人のアメリカ人たちに面と向かって何度言われたことかわかりません。
「国際離婚」で心身共にやせ細った
そりゃ、最初は辛かったですよ。ニューヨークのようなインターナショナルな街でもこんな差別的なことを言われるんだ、と落ち込みました。でも、ここで思い切り発想の転換をしました。あらゆる分野でトップを目指す人たちが集まってくるニューヨークは、誰もが自分のゴールに向かって闘っている。だから、「私だけがヒドイことを言われて、ツライ思いをしているのではない」と。誰もが同じ経験をしているのだったら、落ち込むほうが負けなのです。
そんな私でも、本当につらかったのが国際結婚です。
相手はイケメンアメリカ人ミュージシャン(笑)。彼がニューヨークにライブで来ていて、私が一目ぼれしたのです。このころの私はぽっちゃりを通り越したおデブちゃん。こんな私が様々な作戦で、競争率の高い彼を落としたんですねぇ。だから好きで好きでしょうがなかった。でも、結婚生活はすぐに暗礁に乗り上げました。
このとき私が住んでいたのは、アジア人でさえ少ないウィスコンシン州。バイトを6つ掛け持ちして頑張っていたものの、人形師になるという夢も叶わず「自分は一体何をやっているんだろう」と自問自答の日々を過ごしていました。一時は、ジャイ子やエルトン・ジョンとあだ名がつくほどおデブだった私も、離婚のストレスから胃潰瘍を患い、体重36キロと激やせ状態でした。
そんなある日、バイトの一つである美術館の受付をしていると、男の子がやってきました。私に英訳されたドラゴンボールのマンガを見せに来たんです。「日本人でしょ。これ知ってる?」。これがマンガと私の出会いでした。
彼に促されて近所の図書館に行ったら本棚びっしりと、マンガとアメコミが並べらていました。「これだ!マンガだ!」これを見た瞬間、脳天に衝撃と光が走ったんです!マイケルに恋したあの高揚感を覚えました。
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