中年になると否応なく増す「不要な存在感」の功罪 存在しているだけで発生する「うっとうしさ」

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権力を持つのが好きな人にとっては、年をとって存在感が増すのは悪くないことなのかもしれない。 だけど自分はずっと、権力を持つことに全く興味がなかった。むしろ、みんなから軽く扱われていたい、と思っていた。そのほうが誰にも期待も邪魔もされず、自分の好きなように動けてラクだからだ。

存在感が薄くてどこに行っても透明でいられる若者は気楽だけど、若いときは若いときで、その存在感の薄さに悩んでしまいがちでもある。

若者が尖ったファッションをしたり、マニアックな趣味にかぶれたりするのは、気力や体力などのエネルギーが過剰だからというのもあるだろうけれど、存在感が薄くて軽く見られがちなので、もっと注目されたい、と思うせいもあるんじゃないだろうか。

年をとるにつれて、極端な行動や格好で世間の注目を集めようとする人間が減るのは、そんなことをして存在感の薄さを補わなくても、加齢によって自然と存在感が増してしまうからなのかもしれない。

人に軽く見られているほうがラクだから、権力や存在感なんていらない。会社や組織に属さず、ひとりでふらふら生きていたい。そう思って今までやってきた。

しかし、そんな自分でも、最近は若者と話すたびに、目上の人として気を遣われていることを感じる。自分が否応なく存在感や権力を持ってしまっていることを自覚せざるを得ない。

順番には逆らえない

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こんなつもりじゃなかったのにな。年をとっても内面は大して若いときと変わっていないから、据わりの悪さを感じる。ずっとどうでもいいふらふらとした存在でいたかった。

だけど、それは受け入れるしかないのだろう。内面とは関係なく、容姿や立場が行動を自然と変化させていくのだ。

物事には何にでも順番がある。一般的な社会のルールとあまり関わらないように生きてきたつもりの僕でも、順番には逆らえないようだ。

何も背負わずふらふらと危うげに生きていくのはもっと若い人たちに任せようと思う。がんばって僕の分までふらふらと生きてくれ。

pha 文筆家

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ふぁ

1978年生まれ。大阪府出身。京都大学卒業後、就職したものの働きたくなくて社内ニートになる。2007年に退職して上京。定職に就かず「ニート」を名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。2019年にシェアハウスを解散して、一人暮らしに。著書は『持たない幸福論』『がんばらない練習』『どこでもいいからどこかへ行きたい』(いずれも幻冬舎)など多数。現在は、文筆活動を行いながら、東京・高円寺の書店、蟹ブックスでスタッフとして勤務している。

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