中年になると否応なく増す「不要な存在感」の功罪 存在しているだけで発生する「うっとうしさ」

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40代になった今では、全くそういうことをしたいと思わなくなってしまった。今は、友達の家に泊まっても友達を自分の家に泊めても、相手のことをうっとうしく感じてしまいそうで怖い。

あちこちを泊まり歩いている若者の話を聞いて一瞬うらやましく思ったけれど、実際にそういうことをしたいわけではなく、適当に人の家で夜を明かしたりしたいと自分が全く思わなくなっていることを確認して、あの頃から遠くに来てしまったな、という感慨を持っただけなのだった。

中年が発する「うっとうしさ」

中年になって、他人と一緒に過ごすことの許容度が下がったのはなぜだろうか。なんだか中年になると、自分も他人も、存在しているだけでうっとうしさが発生してしまっている気がする。それは容姿が老けてきたからなのか、それとも物音や人の気配が苦手になったからなのか。

年をとってから身だしなみに少し気をつかうようになったのはそのせいだ。少しでもうっとうしさを軽減したい。

若い頃はむしろ好きこのんでむさ苦しい格好をしていた。ボサボサの髪でヨレヨレのシャツを着て、世の中のメインストリームから外れた感じでいるのが居心地がよかった。社会に参加したくなかった。まともな人たちから、どうでもいい取るに足りない存在だと見られていたかった。

そんな自分が、40歳を超えてからは、少しちゃんとした服を着るようになった。といってもそんなに大したことはしていなくて、あまりにもくたびれた服は捨てて、ユニクロやGUや無印良品でシンプルな服を買うようになったとか、1カ月半に1度は髪を切るようになった(それまでは3、4カ月経って髪が伸びすぎて洗うのが面倒になるまで放置していた)とか、それくらいのことに過ぎないのだけど。

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