ペゼシュキアン氏勝利の舞台裏では、ある女性の貢献が大きかった。アザル・マンスーリというイランで有名で、100万人署名運動やフェミニスト運動の活動家、IINUP(Islamic Iran Nation's Union Party)、NUP(National Unity Party)の名で知られる改革派政党が集まっての連立政党の党首である。
彼女は2008年の議員選挙では立候補資格を与えられず、2009年大統領選挙後に起きた抗議運動時には逮捕されたりもした。
改革派勝利に貢献した女性
ロウハニ前大統領がペゼシュキアン氏支持に回ったのは、彼女の説得によるものだったと伝えられている。また彼女は2009年の大統領選で落選した改革派の最長老であるメフディ・キャルビ元国会議長に「選挙をボイコットしないように」説得したと伝えられている。
キャルビ氏は1980年代から政治運動にかかわる重要人物で、不正投票があったとされた2009年の大統領選に出馬したものの落選。その直後に発生した大規模反政府運動「緑の運動」にも、ミールホセイン・ムーサヴィーとともに加わった人物である。
選挙戦略としては、反米強硬派のジャリリ氏が正統ペルシャ語を用いて格調高いものの堅苦しい言葉遣いの選挙演説をしたのに対し、もともと心臓外科医のペゼシュキアン氏は親しみを感じる庶民の言葉で演説を行うなど、有権者にはわかりやすい言葉で訴えたのが勝因の1つ、ともされている。勝利宣言でも、原稿の紙を放り投げ、自分の言葉で、庶民の言葉で勝利を祝った。
一方、1人の若い女性が注目を集めた。ペゼシュキアン氏の選挙活動中、つねにその傍らにいた女性のことだ。
彼女はペゼシュキアン氏の娘であるザハラさんだ。ペゼシュキアン氏は、「私にとってザハラはマハサ・アミニだ。私にとってイランのすべての娘たちはマハサ・アミニだ!」と訴えた。
そのマハサ・アミニさんとは誰か。クルド人で、2022年に「スカーフを正しく着用していない」ことを理由にイランの風紀警察に連行されて死亡した。これをきっかけに大規模デモに発展した、イランではいわばタブーとされる人物である。ペゼシュキアン氏は「自分はマハサさんを支持し、デモにも参加した!」と街頭演説で述べたこともあった。
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